月曜日。
朝7時45分に東さんとホテルのロビーで待ち合わせ。
ところが6時に目が覚めてしまった。
蚊との戦いもあり、結局睡眠時間は一時間半。
ベランダで日記の下書きを書く。
朝食はホテルの食堂にてバイキング。
「ボイブンバ」祭り以外の時期は結構閑散としているらしく、
この日の食堂も小太りのおじさんが一人いるのみ。
「おはよう。パリンチンスは初めてでねえ。昨日来て今日帰るんだわ。」
とか話しかけたら
「わしも今日の夜の飛行機でマナウスに行くから一緒だねえ。」
なんて答えてくれた。
後で運転手に聞いた話だと
その人は、わしが泊まったホテルのオーナーだった…。びっくり。
朝8時からパリンチンス市立キムラ学園でビアンカ先生の授業を見学。
午前中は3時間2コマ。午後も3時間2コマ。
それが週に4日ある。
生徒数も100人を超えるが
ほとんどが日本語初心者なので
定着させるためにいいカリキュラムを考えないといけない。
まあ、とにかく大変な仕事だわ。
わしもマナウスからのゲストとして
簡単な授業と日本の歌の練習をした。
「花」のサビは全員で大合唱できたよ。感動もんだった。
校長先生と事務員の女性とも校舎の前で一枚。
市役所は小さくかわいらしい作りだ。
昼前にはその市役所で副市長にも面会できた。
非常に紳士的な態度で日本に対しても興味があり
ここに入植された方のことも尊敬しているということだった。
この街は、いろいろな可能性を秘めた場所なんだなと実感。
新聞の取材も入っていたので地元紙に載るかも…。
副市長との記念ショット。東さんも一緒。
昨日忙しくていけなかったヴィラ・アマゾニアについても
副市長の一言でこの日の午後行くことが急遽決定したのだ。感謝!
*
ヴィラ・アマゾニアはパリンチンスからさらに下流に位置する。
日本の高等拓殖学校で勉強した高拓生たちが1931年から入植。
戦後のジュート栽培など地元の産業にも日本人は大きな影響を与えた。
ビアンカ先生は自転車通勤。すごい暑さなんだよ。
昼ご飯は、マリオさん宅でシュハスコを御馳走になる。
めっさ美味い。あんなに美味しいフェイジョアーダは初めて!
マリオさんの息子のジョージが日本酒をさかんにすすめるが
丁重にお断り。仕事できなくなるっちゅうの。
だんご3兄弟。
午後は、マリオさんの部屋で初代入植者の様子を収めたDVD、
1世2世の方のインタビュー集、
ジュート栽培の歴史や現状を伝えた70年代後半か80年代初めに
作られたと思われるTV放送のVTRなど
貴重な映像を見せていただいた。
午後3時から東さんとマリオさんと3人でアマゾン川を渡り
ヴィラ・アマゾニアを訪問。
ここには生活必需品を揃えるためのスーパーもなく
本当に小さい店が数軒と教会、学校があるのみ。
以前日本人が入植し、この地で大変な苦労をされた場所だ。
これが高拓生を中心に邦人たちが建設したという八鉱会館の当時の写真。(1970年代)
現在は、建物の土台が残っているのみだ。
近所には、日本人が入植した当時の住居も数軒残っている。
そして、そのボロボロになった建物に
現地のブラジル人が居住している。
教会の壁に残された飾りは、日本人の建物から移したもの。(瓦の一部か)
街の一角に高拓生の偉業を祀ったモニュメントがある。
ジュート栽培の模様を模ったレリーフや
その栽培に尽力された尾山良太さんの像、そして鳥居。
もっと多くの人たちにここを見てほしいと思った。
通りかかった現地の学生が
「写真を一緒に撮ってもいいですか。」と言ってきたので
「いいよ。こっちも一緒に撮らせてよ。」ってお願いした。
モトタクシー(バイクのタクシー)に乗り
さらに奥地に建てられた学校「ウエクサツカサ学園」を訪れた。
パリンチンスもヴィラ・アマゾニアも先人の偉業をたたえ
日本からの援助で建てられたものには日本人の名前がつけられたものが多い。
今では日本人が誰も通っていないであろうこの学校のスタッフが
日本人の名前の書いてあるお揃いのTシャツを着て仕事をしている。
マリオさんは来年行われる記念式典についての協力要請をしていた。
高拓生のため、先祖のため、日本人のため。素晴らしい執念だ。
続いてマリオさんに案内されて
どんどん山の中の道なき道をモトタクシーで入っていく。
丘の上にはお墓があった。
見るからにみすぼらしいお墓。
現地の方のものだろう。朽ちた十字架も多い。
そして、その奥は荒れ地。
実は、この荒れ地こそが70年も80年も前に
ここで命を落とした人たちのお墓だというのだ。
20名ほどの方の命がここで眠っている。
墓碑は原型をとどめることなく悲惨な姿を晒すのみだった。
生まれてきて一年もしないうちに天国に逝ったのだろう。
子供の墓碑が一つだけ残されていた。(墓として判別できたのは石版二枚だけ)
アマゾンに来て2週間、
入植について、一世の方や二世の方から直接お話を伺ったり
様々な文献を読むにつれて、
涙を出すこともできなくなっていた自分がいた。
自分の薄っぺらな知識だけで、涙流すなんて
逆に申し訳ないんじゃないかって。
でもここでは涙が止まらなくなっちゃった。
ちょうど、夕陽がアマゾン川の向こうに沈むところで
綺麗な景色と荒れた墓地の姿が対照的で余計悲しくなったよ。
6時20分。
すっかり暗くなったアマゾン川を渡りパリンチンスへ。
キムラ学園で行われていたビアンカ先生の夜の授業に
またしてもギターを持って飛び入り。
考えてみたら2日間でわし5ステージしとる。
生徒にめちゃめちゃ信頼されてるビアンカ先生のアミーゴの先生という
扱いなのでウケもよいんだな、きっと。
授業の途中で教室を抜け
外の屋台でマリオさん東さんとパステウを食べる。
ここでぼくがやらなきゃいけないこともいっぱい。
この滞在で少しずつそれが見えてきた。
マリオさんいろいろと本当にお世話になりました。
ビアンカもがんばれ!
さて、空港でマナウス行きの飛行機を待っていた時の話。
人でごった返すロビーで一組の家族が目にとまった。大家族。
あれ。おじいちゃんは日本人だ!
わしのほうをじっと見ている。パリンチンスで純粋な日本人はちょっと珍しい。
「こんばんは!」と大きな声で挨拶したが反応は「???」だった。
「日本人ですか?」と尋ねたら家族大爆笑。
おじちゃんは純粋なブラジル人。なんとなく日本人に見えただけだった。
しかもおじいちゃんじゃなくておじちゃんね。
ブラジルは移民の国なので白でも黒でも黄色でも
どんな顔をしていてもブラジル人なんだわ。
おじちゃんは話しかけられたのが嬉しかったようで
いろんなお話を聞かせてくれた。マリオさんのことも知っていたよ。
「ボンジーアは日本語で何ていうんだ?」なんてプチ日本語講座も。
マナウスに向かう息子を見送りに家族総出で空港に来たという。
大学生のその息子がまたいいやつで
話を聞いたらうちから15分歩いたところに住んでいるらしい。
すっかり仲良しになり、今度、飯でも食べに行こうってことになった。
その青年セルジオくんとマナウス空港で別れ
わしと東さんはロライマ州ボアビスタ行きの飛行機に乗り込む。
到着したのは午前2時。
現地で活動している青年ボランティアのこと子さんと現地の日系人福田さんが
空港まで迎えに来てくださった。夜遅いのにすみません!
そしてこの日はホテルでシャワーを浴びてバタン。貴重な一日だったな。