ポルトベーリョの豪快さんだっ!

としみん

2010年09月07日 10:17

9月3日金曜日。

暑いっ!






ロンドニア州ポルトベーリョまで行ってきた。
1982年に州都となった人口35万人の都市。

そのポルトベーリョから約15キロ先のバテエスタカ川流域に
1951年7月、「グヮポレ移民」が入植してから
この地での日系社会の歴史が始まった。

赤道近くの辺境の地で
マラリアなどの風土病、栄養失調と闘いながら
ゴム栽培に従事された先人のみなさんの苦労は
様々な資料を読むほどに胸が痛くなる。

現在はマデイラ川の水力発電所の工事の恩恵を受け
道路の舗装工事に建設ラッシュ、
土地の値段の高騰と街は活気に溢れている。
そんなポルトベーリョで
唯一、日本の文化、日本語に触れることのできる場所が
今回わしが訪問した
「光日本語教室」であり「Port Velho Nikkey Club」なのだ。

午後3時過ぎにポルトベーリョ空港に到着。
Nikkey clubのマリエラさんの車で
すぐに「光日本語教室」に向かった。

ここでは、田辺先生(先生もグヮポレ移民)が
週に5回の日本語の授業を行っている。

田辺さんは、お仕事もされているのに
自分の自由になるほとんどの時間を日本語教育に充てている。
(平日の夜に授業。そして、土曜日は朝から!しかもお一人で!)



この滞在中に
入植当時から現在までのいろいろなお話をお聞きすることができたが
先生は、「がっはっは!」という大きな笑い声が似合う
まるでエネルギーの塊のようなひとだった。

わしが世界で一番好きな漫画家「泉昌之」の漫画で
ナンセンス漫画の傑作「豪快さんだっ!」ってのがあるんだが
もうまさに田辺さんのキャラクターはそのまんま。
ここに載せることのできないウルトラ豪快なストーリーもいっぱいなのだ。
(今、安く買えるのね。これ↓)
http://www.ebookjapan.jp/ebj/book/60010611.html

とはいえ、ご自身がコロニアで生活しているときに
仕事で大変なはずの母親から
日本語を教えてもらった経験があるだけに
そこに注ぐ力は半端なものではない。

ノートも何もないアマゾン入植当時のこと。
土に棒っきれでひらがなを書いて教えてくれた話。
野菜や果物の木箱に砂を詰め
その砂の上に指で文字を書いて覚えた話。
その経験のひとつひとつが映画の一場面のような
説得力を持っているのだ。

こういうお話を生きた言葉として
直接聞くことができるのもこの仕事をしている特権だと思う。

さて、この日は、
子ども二人の授業を見学させていただいた。



挨拶に始まり、挨拶に終わる。
武骨で淡々とした授業だがその中には愛がある。
冗談を交えながら
細かいところはポルトガル語でしっかり解説してくれるのだ。

授業の前後には
「光日本語教室」がどうやってできたのかなどを
詳しく教えてくださった。

実は、次の日に法事を控えていた田辺先生。
忙しいはずなのに市内のレストランで夕食をご一緒することができた。



ものすごい雷雨の中
サンパウロからやってきたお坊さんとマリエラさん一家と
田辺先生ご夫婦と、美味しい料理に美味しい話。



「昔はこのレストランはダンスホールでね、妻と踊ったものですよ。
今は、余りにも音がうるさいから近所の人たちが署名活動して
閉鎖になっちゃった。たしかにブラジル流で凄く大きな音でした。がっはっは。」

夕食後は市内のダンスホールにも連れて行ってくださったのだけど
あまりいいバンドではなかったので早々に退散。

こうして豪雨の中の一日目が過ぎていきました。
(3か月ぶりの雨だったらしい…)

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