てんこ盛りの日。
火曜日。
忙しさはピークを迎える。
朝8時から授業開始。
生徒たちはいつも温かく迎えてくれる。
1月に作った教科書に日本語の文を書きこんでいく。
さらにホワイトボードにもたどたどしい字で日本語を書いていく。
これは感動するよ。
半年前まで「あ・い・う・え・お」も知らなかったひとたちが
「日本語上手ですねえ。」って言うと
「いいえ、まだまだです!」って答えるんだよー。
もちろん識字がまだまだのひとたちもいるけど
なんせ授業が楽しいんだから。
11時に午前の授業が終わり
ここから市役所に移動。
I副領事が訪れたので我々日本語教師二人も同行することになった。
移民の歴史、高拓生の話、パリンチンスとの関係、
現在行われている日本語教育のこと、日曜のボランティアイベントのこと、
それから地震や津波のこと…。
TVや新聞の取材も来ていたが、ポル語が苦手なわしは小さくなっておった。
その模様はこちらのサイトで!↓わしも隅に映りこんでいる。
http://www.parintins.am.gov.br/?q=35-conteudo-15776-messias-recebe-visita-da-vice-c-nsul-do-jap-o
でもさあ、よく読んでみるとツルタタダシになってる…。
イノマタタダシ学園とごっちゃになってるんだな。
しかも、過去の記事を遡ってみると
ツルタトスミとかなってるのもあった…。↓
http://www.ojornaldailha.com/index.php?secao=leitura&parintins=2409
昼食後、船に乗ってビラアマゾニアに移動。
2度目の訪問になる。
戦前、日本からの高拓生が移住し、
ジュート栽培を成功させたという
歴史的にも非常に高い価値がある場所だ。
ここが八紘会館の跡。
近くの大木たちは80年前に高拓生たちが入植したときも
その様子を見ていたんだろうなあ。
モトタクシーで郊外の墓地を目指す。
戦中、戦後、日本人は土地を没収されてしまったので
現在は日本人は住んでいないのだが(日系人は少し住んでいる)
まだお墓は残っている。
がしかし、以前も書いたように
すっかり荒れ果ててしまっているのが現状だ。
この住民の十字架の奥が日本人移民のお墓がある場所。
現在、このお墓を綺麗に整地して作りなおそうという計画が動きつつある。
一刻も早く工事を開始して
ご先祖のみなさまにはゆっくり休んでいただきたい。
心からそう思う。
日本から一番離れた過酷な場所で
病気や天気と闘いながら亡くなっていった人たちのお墓だからね。
5時過ぎにビラアマゾニアを後にして再び船で移動。
気持ちを切り替えて
授業は午後6時からだ。
ばっちり9時までやってお疲れ様。
関連記事