いいえ、日本人ですけど。

としみん

2011年06月07日 07:02

土曜日の夜1時にマナウスを出発して
(ホントは30分飛行機が遅れたんだけど…)
午前3時過ぎにポルトベーリョに着いたよ。

今回の宿泊先はホテルアマゾニア。



廊下はオレンジ。



部屋はこんな感じ。



しっかり眠れないまま
午前11時半にお迎えが来た。
ポルトベーリョニッケイクラブのトシミさんだ。
ダブルトシミでニッケイクラブの会議に向かった。

昼ご飯の前に
新しいボランティアの受け入れについて
それから先日のSPでのJICA帰国報告会などについて
マルレイニ会長から報告があった。

午後2時からは
光日本語教室で先生たちの勉強会。
いつものように
ライザさん、メグミさん、ルイキくんが参加。
日本語の勉強の他、
マナウスでの勉強会の様子を見せたり
FM Haro!の番組向けに日本語で録音したり
6時半までがんばったよ。

明けて月曜日。
(もう曜日とか休みとかの感覚はまったくないっす)
朝8時から近所のパダリアで朝食をとりながら
田辺先生、マリエラさん、マルレイニさんとミーティング。
新しいボランティアの住居確保や
8月からの授業についていろいろ決めなきゃいかんのだ。



午前中は田辺先生の買い物に付き合って電気屋(照明機器のお店)に行ってきた。
店の人にいきなり「あんた、インディオか?」って言われたよ。

「いいえ、日本人ですけど…。」

シャワーの頭も売ってる。
(ブラジルではシャワーの頭に電気で温水が出る機械がついてるんだよ!)



日本と形が違う照明の数々。
この形のものは省エネライトなんだそうだ。



ありゃ。
メグミさんの犬ベリーニャも写りこんでる。


「隣町まで行ってみますか?」と田辺先生。
Candeias do Jamariという街まで連れて行っていただいた。
帰りにコロニアにも寄ることができたよ。



1954年7月。
グヮポレ移民として29家族が入植した
トレーゼデセテンブロというコロニアだ。
現在は4家族のみが住んでいる。

今日は時間もなかったので
石碑だけを見て帰ってきたけれど
田辺先生の話を聞きながら埃だらけの道を走っていると
いろんなことを考えさせられて感慨深いものがあった。



我々日本人の先輩たちが、60年近く前に
アマゾンに夢を求めて海を渡ってやってきたこと。
そこであてがわれた
200メートル×1500メートルの土地は
未開のジャングルで開拓に苦労したこと。
やせた土地で作った作物を
片道3時間、往復6時間かけて
歩いて売りに出たこと。
全ての話が生々しく時に悲しく、そして何より逞しい。

こちらは、記念の石碑。
入植した家族プラス関係の深い2家族の名前が刻まれている。



また、これは記念のプレート。





台になっている大きな岩は、さざれ石の一種だそうだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%95%E3%81%96%E3%82%8C%E7%9F%B3
日本から4万キロも離れたコロニアで記念プレートの台を
さざれ石に選んだというのは愛国心の表れなのだろうね。

一方、日本では
国歌斉唱の時に起立するしないで揉めてる。

うーむ…。

石碑に刻まれた歌は田辺先生の手によるもの。

『忘れ得ぬ開拓の友あり
トレーゼは
ゴムの花咲く心のふるさと』


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