午前の授業を終え
一人寂しく街の食堂で昼ご飯を食べていたら
そこに日伯協会のマリオ会長が現れた。
「トシミ。UFAMでやるといいぞ。今から下見に行こう。
それから、船でビラアマゾニアに渡って
高拓生のお墓の改修工事の様子を見に行くぞー。」
相変わらずパワフルだな。
UFAMっていうのは、アマゾナス連邦大学パリンチンス分校のこと。
マナウスでの原爆展の様子をマリオさんは知っているので
(マナウスで会場の準備をしているときに寄ってくれたのだ)
より多くの人たちに見てもらいたいという思いから
場所をとりつけてきてくれたのだった。
一方、ビラアマゾニアはパリンチンス下流の小さな街で
戦前、日本人が入植しジュート栽培に成功したものの
戦中戦後に言葉も土地も取り上げられてしまったという悲しい歴史を持つ街だ。
ここを訪れるのは今回で3回目になる。
何度来ても心がざわざわする。
盗掘にあって荒らされてしまった先人たちのお墓を
今年10月に行われる高拓生入植80周年記念イベントまでに直すのだ。
マリオさんは、この工事の進行具合を見せたかったらしい。
地元民が通勤・通学で使う小さな船に乗り込んでビラアマゾニアを目指した。
日本人が一人も住んでいないのに
日本を感じさせる奇妙な場所がビラアマゾニアだ。
80年前、この場所でわしらと同じ血が流れている人たちが
自然と闘いながら病気と闘いながら生活を営んでいたのだ。
小さい港から数キロ先の鬱蒼と茂る緑の奥に地元ブラジル人の墓地がある。
墓地といってもどのお墓もその辺の木や石を適当に並べて造っただけの
本当に簡単なものばかりだ。
そして、さらにその奥に荒れ果てた一角がある。
墓石は割れ、コンクリートは崩れ
周りの草は伸び放題なのですぐにそこがお墓だとはわからないくらい。
ここがビラアマゾニアで暮らしていた日本人のお墓なのだ。
日本人はお墓の中に財産を入れるという噂がたったとかで
ずいぶんと盗掘に遭ったらしい。
盗掘に遭った後、割られてしまった墓標などは
あろうことか現地の貧しい人たちが自分たちのお墓を作る時に
土台などに使ってしまったらしい。
悲しくなるぐらい目茶苦茶な話だ。
去年の今頃、初めてここを訪れた時よりも
だいぶ草は刈り取られて
周りにレンガが積まれていた。
本当に10月までにできるのか少々疑問が残るが
なんとか間に合うように祈るのみだ。
働いている人の話によると
ビラでは最近雨が降らないので水を確保するのが大変だという。
セメントを固めるための水はアマゾン川の支流まで汲みに行く。
わしもジャングルの中の道をついて歩いた。
水平を出すためにピンと張られた凧糸の中
今までは草むらの陰に埋もれて気がつかなかったお墓を発見した。
このお墓は、墓石も奇跡的に綺麗なままだ。
土を掃ってみると30歳くらいで亡くなった方のお墓だった。
マリオさんにこの場所をコンクリートで固めるだけじゃなくて
墓石などは除いて保管してあげたほうがいいことを伝えた。
(伝わっているかはちと微妙なところだが…)
10月23日にはここで高拓生80周年のイベントが行われる。
何かお手伝いができるといいな。
これは地元の子供たちを前に
マリオさんのなんちゃってライヴ。
少しだけコードを抑えることができるのだ。