1929年、グァラナ栽培を目的としたマウエスへの入植により始まった
西部アマゾン地域の日本人移住。
高拓生は31年から7年にわたり、249人がビラ・アマゾニアヘ入植。
その後、インドから持ち込んだジュート(黄麻)の種から尾山良太氏によって
優良種が発見され、ジュートはゴム景気衰退後のアマゾナス州経済の35%を
占める一大産業に発展した。
しかし日本の対米開戦とともに日本人は敵性国民とされ、拠点だったアマゾ
ニア産業研究所は政府により没収、戦前のアマゾン開拓は挫折した。
戦後、日本移民はアマゾナス、ロンドニア、ロライマ、アクレなど四州の各
地へ広がった。開拓の礎となった高拓生も各地へ根を張り、多くは亡くなったが、
子弟らは社会の各分野へ進出している。<ニッケイ新聞2009年9月25日記事より転載>
7時00分 パリンチンス港からヴィラアマゾニアに出港
7時30分 船上にて朝食
9時00分 サオフランスコジザヴィエル教会にて高拓生80周年記念ミサ
10時30分 ヴィラアマゾニア墓地にて日本移民を讃える慰霊式
11時30分 ジュートモニュメント広場にて日本語学校の生徒と
先生鶴田俊美による日本語曲の合唱
12時00分 パリンチンス市に向けて出港 到着後昼食
16時00分 パリンチンス市内観光ツアー
というのがこの日一日のスケジュールだ。
まあ、なかなか計画通りにはいかないのがブラジルのイベントなので
5割引くらいで聞いておいた方がよいだろう。
この日、ぼくは5時30分に起床。
集合時間の6時30分に港に着いたが誰もいなかった。一番乗りだ。
そのうち続々と参加者が集まってきた。
7時20分出港。
船の上には朝食やコーヒーが用意されている。
船がヴィラアマゾニアの船着き場に着くと
バンバンバーンと大きな花火が打ちあげられ我々参加者を迎えてくれた。
この日の天気は快晴。
前日までは日中一時的に強い雨が降ったりしていたので
どうなるかと心配したがそれも取りこし苦労に終わりそうだ。
しかしながら暑い。
高拓生のみなさんが上陸した時の様子は写真や貴重なフィルムで
現在も見ることができるのだけど
初めて見たときには
誰もがキチンとしたネクタイ、スーツ姿だったのに驚いたものだ。
その印象が強烈だったので
80周年の慰霊祭、記念式典は敬意を表して正装で参加した。
いつもはTシャツ、短パン、ビーチサンダルのぼく。
毎月の出張先であるパリンチンスで正装することはまずないのだ。
ヴィラアマゾニアを訪れるのは
この1年2ヶ月の間で4回目だ。
上陸するときはいつも胸の奥にこみ上げてくるものがある。
80年前に大きな志を抱いてここに辿りついた日本人。
その後も1937年の第8回生まで計249人の高拓生が
アマゾンの密林の中で歴史を作っていったのだ。