高拓生アマゾン移住80周年記念式典 その4

としみん

2011年10月26日 04:20

Kais Barに到着するとすでに地元のミュージシャンが弾き語りをしていた。
ぼくもすぐにセッティングに取りかかり
Imagineを歌い始めた。



実は、マナウス高拓会のウィルソン東海林氏から
高拓生の校歌をギターで弾き語りできないかと言われていた。
25日のマナウスでのイベントで発表するようにともなにも言われていないけれど
できることはやっておこうと思った。
パリンチンスでのイベントについては、
ずいぶん前からマリオさんに依頼されていたから、マナウスはともかく
ここで校歌を披露できればいいなあと思っていたんだ。

上塚司氏作による校歌はワンコーラス1分近くあり、全部で7番まで。

緑彩なす大空に
金色の雲 照り映えて
霞にむせぶ アマゾンの
流れ豊けき 朝ぼらけ
草踏み分けて 岸に立つ
健児の胸に 希望あり

高き理想に 燃え立ちて
朝な夕なに 若人が
原生林に打ち振るう
斧の響きに建国の
尊き歴史は 刻まれん
我らが歴史を 作らばや

ぼくは日本にいるSwamp Waterの相棒たっちゃんに
アレンジを頼んだ。
たっちゃんの送ってくれた動画はこちら。
http://www.youtube.com/watch?v=nxNTo6b9YXs&feature=autoplay&list=ULdlm099MRfPs&lf=mfu_in_order&playnext=1

さらに自分でイントロと間奏を作って
この日は、その中から1番と7番を歌った。

素晴らしい歌詞だ。(イラセマがポルトガル語で朗読してくれた)

ちなみに5番の歌詞は

白鷺の群れ 嬉々として
汀(みぎわ)に遊ぶジョゼアスー

というもの。
ぼくの祖母の名前は水浜(みぎわ)だからなんだかちょっと嬉しいね。



高拓生の校歌を歌った後、ぼくは生徒をステージに呼び込んだ。
(関係者全員ステージにいたので写真が手元になくて残念!)

市立の語学センター「キムラ語学センター」では
ビアンカことJICAの赤沼みず紀青年ボランティアが日本語教育をおこなっている。
サポートするのは現地の女性教師イラセマ八田さんだ。
イラセマも高拓生の子孫であり
出稼ぎで日本(浜松!)で働いていたことがある。
日本にいるときには自分のルーツなんて考えたこともなかったけど
ブラジルに戻って日本語教育の仕事をしているうちに
自分の体に流れる日本人の血を強く意識するようになったという。
もっともっと家族の歴史を調べていきたいんだそうだ。
ぼくは月に一度パリンチンスを訪れ一緒に授業をしている。

ステージでは
授業の中で取り上げた「大きな古時計」と「夢の中へ」をみんなで歌った。



80年前に高拓生がやってきて開拓をし
戦争という歴史の渦に巻き込まれ
言葉も土地も取り上げられてしまった
このアマゾンの地に
彼らの子孫や非日系のみんなが
日本語を覚えようと努力し
日本語の歌を歌っている。

ぼくは素晴らしい時間を素晴らしい仲間と共有できて感動したよ。
ただ、ずっとがんばってきたビアンカ先生が体調不良により
80周年の式典に参加できなかったことが本当に残念でならない。
JICA横浜での研修中からアマゾン派遣という使命に責任を持ち
誰よりも高拓生について研究して調べて、
その歴史を理解しようとしていたのを知っているからね。
とはいえ、彼女も今月末より現場に復帰する予定なので
また、今まで通りいや今まで以上に楽しい授業を一緒に展開できたらと思う。

昼食の後は
ブラジル国内外いろいろなところから集まったお客様と市内観光。
年に一度の奇祭「ボイブンバ」の会場やチームガランチードの練習場。
市内で一番古い教会などのほか
「イノマタタダシ学園」も訪問した。
なぜかここでは忍術クラブの演舞を披露してもらった。
アヴェニュウザ校長(彼女も高拓生の子孫だ)による心からのもてなしだったのだろう。
いかんせん、ヌンチャクのパフォーマンス他はグダグダで
あまり日本っぽくはなかったんだけど
ぼくはアヴェニュウザの気持ちがよくわかったよ。
子どもたちがいっぱいで日本語の挨拶を元気よくしているふだんの様子なんかを
お客様にも見てもらいたかったなあ。純な子どもばかりなんだから。

市内ツアーの最後はタカカ。
わたくしお薦めのドナマリアの店に大勢で押しかけた。
みなさん満足してくださったようで本当によかったよ。

マナウスに向かう飛行機は
25日の式典に向かうひとでいっぱいだった。
上塚芳郎氏はロック&カントリー好きでこちらも私と話が合い、
空港での待ち時間は楽しいものとなった。
長沼総領事もフラメンコギター奏者であり、マニアックな音楽談義に花が咲いた。

真夜中にマナウス着。こうして長く楽しく貴重な一日は終わった。

今年6月にはこのパリンチンスで震災義捐金を集めるバザーを行った。
パリンチンス日伯協会や日本語教室のみんなが協力してくれたその気持ちが嬉しかった。
親身になって協力してくれたパリンチンスの方たちの名誉のために言うと
バザーで義捐金を募ったために記念式典を中止にしようとしたわけではない。
自分たちのルーツを大切にする気持ちを持って、
常に80周年の記念式典のことを考えていたんだ。

パリンチンスの高拓生80周年記念式典は規模縮小どころか
温かい人の心に溢れた素晴らしいものになったと思う。
それはひとえにどこまでも優しい地元のみなさんのがんばりによるものなのだ。

関連記事