24日。ボイマナウスで賑わうマナウスから、対岸に伸びる大きな橋がついに完成。
ネグロ川にかかる3.6キロの橋の開通式が行われた。
ずいぶんとたくさんの人が集まったようだ。
25日。マナウスで高拓生アマゾン移住80周年記念式典が開催。
そんなとき、北杜夫さん死去のニュース。
川田さんにお借りして読んだ長編小説『輝ける碧き空の下で』(日本文学大賞受賞)は
賛否両論あるが、非常に読み応えがあった。初期の移民から戦争直後までの移民の
様子が綴られている。もう一度読み直したい。合掌。
さて、パリンチンスから帰ってきた翌日は何もできずバタンキュー。
家の外にも出られなかったくらい。橋の開通式にも行きたかったな。
明けて火曜日。
マナウスでも高拓生アマゾン80周年記念式典が行われた。
朝8時、ノッサ・セニョーラ・ジ・ナザレ教会(我々のナザレの神教会という意味)で
行われたミサは、やはりヴィラアマゾニアで見た通りの
明るいブラジルならではのミサだった。
普段はお腹全開のマリオさんも今日は正装だ。
ポルトガル語の讃美歌は慣れていないのでついていけん。
「戦前、移民として遠い日本から高拓生が80年前に入植した。
戦後の日本移民が入植した当時、自分はベロリゾンテで神父をしていた。
この機会を通じてみなさんに会えて嬉しく思う。
文化経済の目覚ましい発展のために日本人が尽くした功績は大きい。」
と神父は語った。
10時、関係者を乗せたバスは、アマゾナス州議会に向かった。
パリンチンス市出身の州議会議員トニーメデイロス氏は
「アマゾン移民によるジュート栽培の功績を讃えたい。
また、戦争中、戦争後の日本移民に対する行為に対して謝罪したい。
そして、今もなおアマゾンの地に高拓生が生きていることを祝福したい。」と述べた。
アマゾナス州議会の壇上には、第8回の高拓生である東海林さんが座り、
もう一人の高拓生千葉さんのお孫さんも席に着いた。二人はアマゾナス名誉市民の称号を得た。
東海林さんはこう挨拶された。
「仙台にいるとき、生活に苦しくて、
そんなある日「植民」という雑誌に載った募集記事を見て高拓生に応募しました。
わたしは、最後の生徒であります。
1年間20人足らずの仲間と生活を共にし、幸いにも結婚もできた。
そしてアマゾンに渡りました。アマゾンでは我慢に我慢を重ね、一生懸命やりました。
そのうちに子ども、孫ができ、今は97歳になります。
まだ、サンペドロは私を迎えに来ておりません。
そんな中でみなさんの前でこうしてお話することは一生の幸福、幸せでございます。
子どもたちの話も聞き、本当に涙が出るほど懐かしく思っております。
やがて私も同窓生のところに行くでしょうが、
みなさん元気にひとつ
日本人として、日本人の子孫として恥ずかしくない生活を送ってください。」
会場入口には、高拓生の写真が並べられ、
議会場にはジュートの樹、ジュートの束が飾られた。
また、スクリーンには高拓生の様子を映したフィルムが流され、関係者には賞状が手渡された。
ぼくは、所用のために中座したが
パリンチンスとはまた違う温かさがあったとてもいいイベントだったと思う。
ATSの島さんによると、
『ネグロ大橋は河川にかかる橋としてはブラジル最大(2位を2倍以上離しています)で、
建設費用もブラジル最大(過去の橋の7倍くらいの費用はかかってますね)です。
おまけに現知事が格好つけて、自分の任期中は無料だなんて言ってます。
一体誰が費用を負担するんだろうと思いますね。
それから、現在は費用の割りにベネフィットを受ける人口が少ないメガインフラですが、
将来的にネグロ大橋のそのまた先にソリモンエス大橋を作るプロジェクトもあるらしく、
もし実現すればですが、2つ橋を渡るとそのまま陸路でサンパウロ都市圏と繋がることになり、
これはもう凄いことだと思います。問題は実現するかどうか、ですね。』
とのこと。
80年前、まさに日本とブラジルの架け橋となったひとたちをアマゾナス州議会が祝福し、
その前日にはブラジル最大の橋が開通。
そんな時にこの場所にいて時間をみなさんと共有できるとは、
なんだか大きな時代の渦の中にいるような気がするよ。
幸せなことだね。
記念式典はこの後午後7時半から第2部が行われるのでそれも楽しみ。
そしてわしは、午前2時過ぎの飛行機でサンパウロへと向かうのであった。