ボア・ビスタ探訪はつづく。

としみん

2012年02月12日 23:12

出張3日目。
この日の予定は午後から、新しい日本語教師候補とあやか先生とミーティング。
そして、その後はANIR(ホライマ日伯協会)の事業報告会と新会長就任式に
出席し、午前1時出発の飛行機でマナウスに戻るというものだった。

時は金なり!
空いている時間は少ないが、
ホテルでは18日のライヴに備えて(ホントにやるんだろーなー)
アコースティックギター片手に練習、練習また練習だ。
いろんな場所を案内されるのもこれまた楽し!

朝7時半。
ちゃんと時間通りにサンドラさんがやってきた。
「友だちを連れてきたのよ。ジオネイジさんっていうの。インディオの先生よ。」

前日、市内を案内してもらったときに車の中で
「正月をサン・ガブリエラ・ダ・カショエイラで過ごしたんです。
インディオの文化や工芸品に興味があって…。」
と話したのを覚えていたのだ。

ボア・ビスタ市があるホライマ州にも
ヤノマミ族の他、いくつかの部族が住んでいる。

サンドラさんの友だちジオネイジさんは
両親のうちどちらかがマクシー族というインディオだ。
現在、インディオのコミュニティで先生をしている。
学校には先生が二人しかいない。もう一人は両親ともにマクシー族だ。
先生が少ないのでジオネイジさんは殆どの教科を一人で教えている。

「こんにちは、トシミ。『おはよう』はマクシーの言葉で『ムルヴェン』。
『お元気ですか?』は『ムルヴナ』っていうのよ。」

わしはてっきりインディオのコミュニティかインディオの学校に
連れて行ってもらえると思っていたのだが
車は郊外のある一軒家の前で停まった。



ジオネイジさんが言った。
「ここはわたしの友だちの家なの。陶芸をやっているのよ。
見学させてくれるって!」

マクシー族のリジアさんは本格的に陶芸の仕事をはじめて15年。
旦那さんのテレンスィオさんも9年前からこの仕事をはじめた。
木でつくられた簡素な住居の奥が彼らのアトリエだ。
結構な大きさの鍋や皿が棚の上に並んでいる。



テレンスィオさんは黒い丸い石を使ってひたすら研磨を続ける。
鍋につやが出るまでずっと続けるのだ。
それを息子たちが横で眺めている。まだ仕事には手が出せないようだ。



驚いたことにここには陶芸用の窯がなかった。
日本では、ガス、電気、灯油、薪などの窯が主流で
電子レンジくらいのちいさいものから
学校の焼却炉くらいのもの、
上り窯のようなものすごく大きなものまで
いろいろな形の窯があるものだが、ここにはそれらしいものは見当たらない。

「ここで焼くのよ。」
とリジアさんが指差したところは
まさに今BBQが終わりましたー!みたいなところで
レンガが2列に並んでいるだけの粗末なものだった。

いわゆる野焼きというものなのだろう。
日本では1200度くらいまでは温度を上げるが
これでは温度もたいして上がらないだろう。低温で固まる土なのかもしれない。



↓焼くときはこうなるらしい…。


「おーい。リジア。鍋のふたが壊れちゃったから
この鍋にあう蓋を作ってくれよ!」と近所のひとが訪ねてくる。
前の日にケイコさんの家でご馳走になった時も
この手の鍋を使っていたっけ。

マクシー族のコミュニティの中にボーボ・バフォという場所がある。
そこでは古来、女性が中心になって働くのが習慣になっているらしい。
「テレンスィオはね。そこで男性として初めて鍋をつくったのよ。」
と、リジアさんが自慢げに話した。

「はい。これお土産。今度来るときは必ず奥さんも連れて来てね。」
といって、鍋を渡された。
結構な重さだがありがたい!

ありがとう。リジアさん&テレンスィオさん!また来るよ。

インディオのコミュニティも見学したかったのだけど
サンドラさんは、療養中のおばあちゃんの面倒をみなければいけないので
この後すぐにセントロに戻ってきた。



三人で記念撮影。完全にマクシー族の一員になっているわしがおる。

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