明けて火曜日!
『アクレ連邦大学 第2回日本語・日本文化特別講座』をやってきたよ。
午前のクラスも午後のクラスも40名ずつ参加してくれた。
80名以上のブラジル人に
日本の移民の歴史を伝え
西部アマゾン地域の歴史を伝え
地元リオブランコまで地球の反対側から来た日本人の話を伝えた。
アクレ州リオブランコ市 キナリー移住地
1959年6月14日に6家族44名、(中瀬・篠木・原・坂野・川田・大水)
8月10日に7家族47名、(菊池・稲田・浜口・立石・西沢・岩中・守屋)「敬称略」
全13家族が入植。現在は3家族を残すのみ。
◆キナリー移民川田さんのお話。
『1959年3月3日ひな祭りの日に神戸を出発。
ベレンについたのは、4月8日。
それから3階建600トンの船に乗り換え、リオブランコを目指した。
60日間の旅だった。
日中は移住者のための船内学校で
夜はダンス会の繰り返し。
ガソリンで動く船ではないため、船の燃料の薪割りもした。
船に冷蔵庫などなかったため、川沿いの牧場では牛の買い付け。
移民の子供の葬式も船上でした。
途中、乾季のために船を進めることができなくなったので
ジャングルに獲物を獲りにいったこともある。
乗船者の60%がパラチフスになった。
移住地に着くと、ジャングルの大木を切って、焼き払い、
耕地を切り開くという仕事が待っていた。家も自分たちで建てた。
豆、トウモロコシ、米を育てたがやっと作った作物を猿の大群に荒らされたこともあった。
マラリアにはずいぶんと苦しめられた。
アクレ州の入植地は雨季になると車も使えず、
ただ雨宿りをしながら収穫物の手入れをした。
また、乾季は原始林の伐採と農産物の出荷に追われる毎日だった。』
日本移民100周年の際、
アクレ州のテレビ局が作成したDVDも見せることができた。
8分間の特集で日本移民が残したもの、
現在の姿など何人かのインタビューを交えて構成されている。
もちろんフミヨさんもインタビューに答えている。
前回同様、グループワークで
「日本について何を知っているか」を考えてもらったりもした。
寿司、相撲、ヤマハ、ホンダ、スズキ、ニッサン、ヒュンダイ、ジーコ…
(一個違ってますけどー!!)
いろいろな名前とそれについての解説があがる。
結構ちゃんとした答えでビックリしたよ。
箱根のMOA美術館や教会について知ってる学生もいた!
授業はジュンコさんの助けもあり
みんなで大笑いしながら進んでいく。
真面目な移民の話から
砕けた会話練習や単語練習で雰囲気もとてもよかったゾ。
簡単な挨拶や単語なども教えて
最後は、全員で「夢の中へ」を合唱して2時間半のプログラム終了!
授業後に聞いた生徒たちの意見はこんな感じ。
アレシャンドリ・デ・エロ・ぺレイラ
『今日の授業は大変興味深かった。
移民の歴史について知ることもでき、
またキナリー移民の話を聞くことができた。
キナリーに住む浜口さんの家族については知っていたが
移民の話は今日が初めて。
日本の挨拶の勉強ができたことにも感謝します。』
アレックス・シャンドロ
『移民の歴史、アクレの日本人の歴史、挨拶、歌すべて面白かった。
日本人がこのアクレ州に来たことに感謝したいと思う。』
カルロス・エドゥアルド・シプリジオ
『今日はつらい話もたくさん聞いたが、
移民の話を聞いて、人と人とが尊敬しあうこと、
文化を守ることの大切さがわかった。
日本人が勤勉で努力をする人種だということを尊敬している。
今日は本当に勉強になった。』
マヌエル・リマ・ダ・シルバ
『日本移民のことを尊敬しました。
彼らの生きる力は本当に素晴らしいと思いました。』
フランシネッチ・フレイレ
『少しだけだけど日本の歴史を勉強できてよかった。
私はキナリーに住んでいて日本人の知り合いもいるが
こういう話は聞いたことがなかった。
彼らは本当に人の気持ちがわかる人たちで
ブラジルの文化も尊重し守ってくれている。
お互いの文化を尊重しながら、生き続けている姿に尊敬をおぼえる。』
どうだろ?
大成功だったんじゃないかなあ。