「ここは、日本人が経営しているお店だから
トシミが行きたいっていう日本人のお墓のことも知ってるかもね。」
そう言って、ファビオラさんが案内してくれたのは、建材具を扱うお店だった。
イタコアチアラにはオザキサン、カモイシさん、カワチさんなど
現在も日本人数家族が住んでいるという。
そのうちの一人カワチさんの息子さん、娘さんは
ファビオラさんの友だちで12歳から15歳まで同じ学校に以前通っていたんだと。
そういえば、日系人の知り合いがいるって前に話していたっけ。
カワチさんはレンガ工場を営み、大型魚の養殖もおこなっているのだ。
残念ながら、カワチさんは外出中でお会いすることはできなかったが
親戚にあたるサンパウロはリンス出身の日系人イトウさんとお話することができた。
◆お店の中でイトウさんと。
来日経験もあり、1997年から1年半滋賀県の長浜で出稼ぎをしていたという彼は
先日、バルビーナダムのトゥクナレ釣りでお世話になった高山さんとも
知り合いだったことがわかり、すぐに打ち解けることができた。
やはり、日本人はほとんど住んでいないんだそうだ。
彼もまったく日本語を使わなかった。
「モイゼスくんが今晩フットボールクラブでライヴやるからみんなで来てね!」
と言って店を出た。
昼食は、アマゾンの大型魚タンバキーを焼いたもの。
さすが漁業の街イタコアチアラだけあって立派なタンバキーだ。
昼食後、夜のライヴに備えて
発声練習に余念のないモイゼスくんを置いて
われわれは郊外の湖に向かった。
街の大通りから郊外に抜ける湿地に
水牛の群れがいた。
夢中になって写真を撮っていたら何匹かの蟻に
サンダル履きの足を襲われていた。
このとてつもなく小さい蟻に噛まれると
チクっとした痛みの後で
とてつもない痒みが襲ってくる。
(あれからもう3日も経っているのにまだ痒い!)
◆このどうでもいい写真と引き換えにわしの足は蟻にやられたのであった。
水牛のいる湿地を横切る道路は数週間前まで
大水で冠水していたそうで、その時たまった泥が側道に寄せてあった。
Fazenda Porangaという養蜂場を過ぎ
建設中の共同住宅地を越え、
車はジャングルの中に入っていった。
「ここはプライベート・ビーチみたいなものよ。前はお店もあったけれど
今は閉まっているの。湖で遊ぶ家族も限られているし、静かでいいところよ。」
アマゾン川の支流ウルブー川から流れこんだ湖の水は酸性が強いためとても黒い。
酸性が強いと雨季でも蚊が少ないというのは本当だろうか?
とても綺麗な湖だから、
今度来た時はここで泳いだり釣りしたりできたらいいなあ。
なんて考えながらぼんやりとジャングルと湖の景色を眺めていた。
◆綺麗な湖のほとりには何軒かの家がぽつりぽつり。そこから川遊びする声が聞こえる。
「お土産買っていきましょう。」
湖から国道に抜ける間に原住民(インディオではない)が
マンジョーカ芋を加工している小屋がある。
家族総出での作業だ。
マンジョーカ芋の皮を剥き
水に漬けて毒を取り
沈殿したデンプンからタピオカを作る。
1メートルは超える大鍋で擦った芋を炒って
ファリーニャ(ふりかけみたいなもの)を作る。
焚火がぱちぱちと音をたてる大窯の周りには
犬が寝転び、家族は黙々と作業を続ける。
今年の1月に訪れたサン・ガブリエラ・ダ・カショエイラの風景とダブる。
違うのは大音量でフォホーと呼ばれるダンス音楽が流れていることだ。
おばちゃんがカスターニャ(アーモンドのようなもの)を
窯に入れた。タピオカ焼きを作るのだ。
タピオカ焼きはアマゾン地方ではポピュラーなおやつだが
カスターニャと一緒に大窯で焼いたものは初めて。
器用に大きな葉っぱを切って包んでくれた。
タカカ(エビのスープ)やあひる肉のスープを作るのにかかせない
トゥクピも購入した。
雨も降ってきたことだし、さあ帰ろう。
車の中で食べた熱々のタピオカ焼きは絶品!
日本のサラダせんべいをさらに香ばしくしたような味だった。