ポルトベーリョの女傑たち。

9月4日。弟の誕生日。おめでとー。

ポルトベーリョの女傑たち。

二日目の朝
朝食を早々に済ませ、
7時30分にロビー集合!(といってもわし一人なんだが…)

マリエラさんがポルトベーリョの市内を案内してくれるというのだ!
田辺先生の授業が始まる前に、まずはセントロに行ってきた。

こちらがポルトベーリョのシンボルである水のタンク。
名前は「三つの水の箱」Três Caixas D´água

ポルトベーリョの女傑たち。

50年以上前のものなのだがなんとも趣きのある愛らしい形をしている。

シンボルがこれなので、ゴミ捨て場もこんなんや

ポルトベーリョの女傑たち。

こんなん。(カラフルでしょ!?)

ポルトベーリョの女傑たち。

市のギャラリーには絵画にタイルアート、
トールペインティングに彫刻などいろいろな作品が飾ってあった。

ポルトベーリョの女傑たち。

一方、こちらは、「ロンドニア州立大学(通称UNIR)」の事務所。
なんと、昔のホテルを直して利用している。風情のある建物だ。

ポルトベーリョの女傑たち。

Univercidade Federal De Rondoniaの略がUNIR。
ポルトガル語で『一つにする。結びつける』という意味の動詞もunir。
かっこいい名前でしょ。大学の校舎はセントロから40キロほど郊外にあるのだ。

そして、こちらは文化市場の今と昔。

昔。

ポルトベーリョの女傑たち。

今。

ポルトベーリョの女傑たち。

そんでもって
市内中心部にある役場も昔の建物を上手にリフォームしつつ現在も使われている。

昔。

ポルトベーリョの女傑たち。

今。

ポルトベーリョの女傑たち。

メインストリートのひとつ、『9月7日通り』にある
郵便局の壁一面には
機関車をあしらった記念切手の絵が描かれている。

ポルトベーリョの女傑たち。

以前は、ボリビアからポルトベーリョまで
ゴムを運ぶ列車が走っていたのだが
時代の移り変わりとともにそれも衰退。
機関車は観光の目玉として復活させる計画もあるという。

機関車大集合ーっ!

機関車と聞いてトーマス!と答える人は若者。
やえもんって答える人は、ちとナイスエイジ。
スリーナインって答える人はアニメ好き。
K-100って答えるひとは、おおのしげひさファン。ミスターシャチハタ。

そんあこたあどうでもよい。

綺麗に再現されたものに

ポルトベーリョの女傑たち。

昔のままのもの。

ポルトベーリョの女傑たち。

雨曝しでかわいそうな姿になってしまったものなど

ポルトベーリョの女傑たち。

マデイラ川沿いの機関車車庫の周りには
興味深いものがいっぱいある。

ゴム栽培に鉄鋼業、金の採掘とさまざまな歴史を経て
現在のポルトベーリョがある。
畜産、コーヒー、漁業などは、現在もこの土地を支えている大事な産業だ。

さあ、授業見学。そして参加。

ポルトベーリョの女傑たち。

アニメや日本の文化に大きな影響を受けた非日系の若者や、
日本の宗教に傾倒し、信仰している大人など
いろいろな背景をもった生徒が同じテーブルで
日本語を勉強している。

ポルトベーリョの女傑たち。

田辺先生も白衣で登場!
教室には笑い声が絶えない。

ポルトベーリョの女傑たち。

長い間この場所での日本語教育、日本文化の普及に
努めてきた実績とポルトガル語の安心感が
生徒との信頼に繋がっている。

そうそう、やはりここでも「夢の中へ」は人気。
みんな知っているのでバンバン歌ってくれる。
今回の出張もギター侍のように
背中にタカミネを背負って行ったのだがこれが大正解だった。
鹿児島出身の田辺先生とも生徒の前で長渕剛を歌うことができたよ。

ポルトベーリョの女傑たち。

午後は「Port Velho Nikkey Club」。

ポルトベーリョの女傑たち。

この日はここでスキヤキ会があるのだ。
これも日本文化を広めるひとつの形。
250人分のスキヤキを大鍋で用意しているところだった。

250人分の肉を焼き

ポルトベーリョの女傑たち。

250人分のうどんを茹でる。

ポルトベーリョの女傑たち。

会長は完全に非日系のマルレーネさん。
なんと350キロも離れたところからやってくる。

ポルトベーリョの女傑たち。

マリエラさんにマルレーネさん。
こういう女性陣のがんばりで
Nikkey Clubは存続しているのだよ。こちらもどーぞ。↓
http://www.spshimbun.com.br/content.cfm?DA_N_ID=10&DO_N_ID=35425

田辺さんが言っていた。
「アマゾン入植の歴史や移民を扱った書籍には出てこないし
勲章や賞状をもらったりすることも少ないけれど
ブラジル移民の歴史の最大の功績者は女性だと思うんです。
母親をはじめ、いろいろな場面で女性が頑張って
家族を支えてきた姿を見てきて本当に強い!と思いましたよ。」

この日は大勢の女性スタッフに
「スキヤキ食べていきなさいよ。飛行機のスケジュール変えられるんでしょ。」
などと引き留めていただいたのだけどね。
もんのすごーく、後ろ髪をひかれつつマナウスに戻ってきた。

以前Nikkey clubには日本語教室があり
多くの生徒が通っていたが、現在は閉校の状態なのだ。

優秀なJICAの先輩が残してくれたもの(教材や掲示物、資料など)が
いっぱいあるし、なんとか上手い形で
もう一度、ここで日本語教育が根付くようになると嬉しい。
わしもがんばらなきゃ。


さてさて、こちらは
マデイラ川のダム工事現場近くの教会。

ポルトベーリョの女傑たち。

ポルトベーリョの女傑たち。

1913年にこの地域に建てられた最初の教会だそうだ。
後ろ姿がなんとも可愛いでしょ!

ポルトベーリョの女傑たち。

以前はこの近くが町の中心部だったんだけど
今はお墓とこの教会、それから少しの商店と住居しか残っていない。

工事の後、教会は水没を免れるようだ。
よかった。よかった。

日本語教育も教会も
いいものはやはり残していかなくちゃいかん。

微力ながら今後もポルトベーリョに足を運んで
協力できることは積極的に動いていきたいと思ってる。
いろいろ考えさせられることもあり
収穫の多い出張だったなあ。

スキヤキ食べたかった…。

マリエラさん、ありがと!ムーイトオブリガードです。

ポルトベーリョの女傑たち。



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