結果から書いてしまうと超ウルトラ大成功。
半年前には誰ひとりとして知り合いがいなかった場所で
沢山の人が楽しんでくれて心の底から嬉しい。
日伯のみなさん、領事館のみなさん、商工会議所のみなさん
それからいろいろなところで力を貸してくれたみなさんすべてに感謝です。
以前の日記にも書いたけど、
このコンサートを最初に提案してくれたのはA副領事。
10月の終わりごろ、弁論大会でのぼくのパフォーマンスを見て
「なにかやりましょうよ。」って声をかけてくださったのだ。
「いいですねえ!ぜひやりましょう!」と答えたのだけど、
ただぼく一人が歌って終わるようなイベントにはしたくなかったし
何か意味のあるものにしたかったんだよね。
その時すぐに頭に浮かんだのは、8月にJICAの東さんと訪れたビラアマゾニアのこと。
今年は高拓生入植80周年の年だから、それに絡めたイベントを企画してみた。
残念ながらいろいろあってその企画は流れてしまったんだけど、
I副領事が
「鶴田さんの本来のお仕事である日本語教育に関するイベントにしましょうよ」と
仕切りなおしてくれたんだ。それが11月のこと。
日本語の歌を歌って、日本語に興味を持ってもらおう。日本語に触れてもらおう。
簡単な文法や日本語の歌の載ったハンドブックを作って当日配ろう。
大量に印刷したハンドブックの余った分は
西部アマゾンの巡回出張先にある日本語教育機関に持っていって
それを使って授業をしよう。
なんてことが決まってきた。
さあ、それからはもうイベントに向かってまっしぐらだ。
16ページの日本語ハンドブック作りは日伯協会の先生たちが
ポルトガル語に翻訳するのを協力してくれた。
洋平先生、マイク先生、ユリカ先生、チエミ先生、みんなに感謝!
イラストは自分で描いた。
日本にいたらイラストレーターで作れるようなページも
こっちにはソフト持ってきてないから超原始的に作るしかない。
画用紙に水彩絵の具の黒色で水墨画チックにイラストを描く。
それをデジカメで撮り、フォトショップもどきのソフトで修正して彩色する。
そして、その画像をワードにはめ込んでいくというね。
なんともまあ豆腐職人もびっくりのクソ面倒な工程を経て作られているのだよ。
だから、ものすごく愛着がわくのも納得でしょ。
過去の日記を見ると画用紙にいろいろ描いてるのがわかるよ。
ここね↓
2010年12月22日
http://swampwater.hamazo.tv/e2774296.html
2010年12月29日
http://swampwater.hamazo.tv/e2785572.html
その日本語ハンドブックはコンサートの2週間前に見本が出来上がってきた。
ページレイアウトが考えていたものとは異なるものが上がってきたし
裏表紙もこちらが希望したようにカラーじゃなかったので、
ばっちり校正してから再度印刷を依頼した。これは600部印刷された。
宣伝用のポスターも自分で作った。
これまたワードで作るしかなかったんだけど
できる範囲内で頑張ってみただよ。
ポルトガル語に直すのはI副領事が手伝ってくれた。
これは全部で1000部印刷した。
曲目も著作権の問題があるので
早めに用意して申請しなくてはいけなかった。
来てくれるであろう客層を想定して
2時間のステージ構成を考えた。
盆踊りや今まで参加したイベントを思い出すと
やはり、地元で人気のあるグループ『風河火山』には
どうしても出演してほしかったし
カラオケの得意なブラジル人2人にも自慢ののどを披露してほしかった。
それから、日伯協会には日本語教室があるのだから
ここで活躍している教師のみんなにも登場してもらいたかった。
自分だけが歌を歌って気持ちよくなるようなイベントじゃなくて
『お客さんと一緒になって楽しい時間を共有できる!』
そんなようなイベントにしたかったんだ。
コンサート当日
朝9時半から椅子を並べたり会場作り開始。
領事館のみなさんがお手伝いしてくれた。
10時からは『風河火山』のメンバーとのリハーサル。
音響はHさんがボランティアでやってくださった。
11時からは毎週定期的に行っている日本語教師の勉強会。
1時間やって、12時から本格的なリハーサル開始。
300席並んだパイプ椅子を前に
「あー、お客さん来なかったらどーしよー。」って
そんなことばかり考えてた。
仮眠しようにも眠れない。
演奏者としての緊張感より先に企画者としての責任感で眠れんのじゃ。