今日は火曜日。
日本から戻ってきてちょうど1週間。
昨日の夜はやっとまともな時間に寝て、
今日の朝はやっとまともな時間に起きることができたよ。
時差ぼけを克服したということなんかな。
土曜日は
セザール先生、りえ先生、ブルーノ先生、チアゴ先生の授業を
それぞれ見学&参加。
プロジェクターを上手に使ったり
ぼくが教えたアクティビティ(教えたと言っても誰かのパクリだけど)を
導入したり、みんな工夫して一生懸命日本語教育を楽しんでいる。
授業終了後の臨時教師会議では
日本語能力試験の対策日程について話しあったんだわ。
日曜日は朝6時半にマナウスを出発。
日伯の事務局長木場さんの車に乗って
エフェイジェニオサーレス移住地を目指した。
当時の州知事の名前でもある
エフェジェニオサーレスは、
1958年にあるぜんちな丸で第1回の入植者17家族が入植して以来
野菜の栽培や養鶏業などで発展してきた。
発展してきたといっても
熱帯の気候に病気、言葉、習慣と闘いながらの
入植者の苦労は計り知れないものがある。
(アマゾンでの生活を重ねれば重ねるほど、いろいろな方のお話を聞けば聞くほど
言葉にするのを躊躇してしまうくらいみなさん相当な苦労をされているはず)
この日はここで定例のソフトボール大会があったのだ。
全24チームのほとんどが日系企業。
日本の会社の名前がドーンと入ったユニフォームに身を包んで
老若男女問わず、多くのブラジル人たちもソフトボールを楽しむ。
サッカーは誰でも知っている国民的スポーツだけど
野球やソフトボールをブラジル人がするのは非常に珍しい。
しかしここマナウスでは
年に何度もソフトボールのトーナメントが行われている。
ジャングルの中のグランドで応援する人もプレイする人も
本当に楽しそうだ。
ぼくも「やりますか?」って
日伯のスポーツ部のSさんから声をかけられたけど遠慮した。
超本気モードのところに入ってエラーでもしようもんなら
申し訳ないので丁重にお断りした。
グランドに立った大きな木の下で
眩しい光を避けて観戦しながら
この木は入植の日から今日まで
楽しいことも悲しいことも
毎年こんな様子を見てきたんだなあとか考えていた。
午後は、ミナスジェライスからやってきてマナウスに単身で住み始めた
整体師&柔道家の宿里先生とよめさんとヒオプレートという
川水浴場まで足を伸ばした。
ブラジレイロ率100%だから、我々日本人はものすごく注目を浴びる。
炎天下、バスターミナルまで歩いていると
ビールを何本もかかえた青年に
「ヘイ!ジャッキーチェン!」と声をかけられた。
わしのことだわ。
ジャッキーチェンって言われたのこれで2回目…。
とりあえず、
「あちょー!」とか言ってカンフーのポーズをとった。
「わはは。ジャッキーチェン!ビール飲むか?」
って人懐っこそうに話しかけてくるが、
高い値段でもふっかけられたらたまらんので
「いやいや。いいよ。」って断ったんだ。
でもね、売りに来たんじゃなくて、どうやら1本くれるってことらしい。
「君のTシャツにはブラジルって書いてあるだろ。ブラジルへようこそ。」
って言って1本くれた。なんか嬉しいね。
ヒオプレートまではマナウスから約80キロ。バスで2時間くらいかな。
ホテルもレストランもお土産物屋もある。
ジャングルを走って走って走っていくと
急に視界がひらけて川水浴場が見えるのだ。
以前はもっと近場に泳げるところがあったんだけど
急激な土地開発などで川の水が汚れてしまい
ここまで行かないとなかなか安全に泳げないってことらしい。
さあここで突然ですが、
としみんを探せ!その1
サービスショット。
としみんを探せ!その2
まあ、こんな感じの人たちがいっぱいいるわけだ。
木場さんたちは若いころはトラックに乗って
まだ建物なんて全然建っていないリオプレートで川遊びを楽しんだんだって。
今度、その頃の写真を見せてもらおう!
そして、昨日は月曜日。
新しい週のはじまり。
ラジオ体操とウォーキングはしっかり続いておる。
午前中はヒカルド先生とセーザル先生を相手に能力試験の対策授業。
午後は逆にミシェーリ先生によるポルトガル語のレッスン。
事務仕事をしてから、ジムでエクササイズだ。
夜のジムはマッチョな輩がいっぱいで
非力なわしは厳しいメニューについていけなくなる。
腹筋だけ1時間とかいうメニューもあるんよ。
毎日通えたらいいんだけどね。そうもいかんのだな。