マナウスでも高拓生アマゾン移住80周年記念式典 続き。

マナウスでも高拓生アマゾン移住80周年記念式典 続き。

マナウス市における高拓生80周年記念イベントは午後7時30分スタート。

まずは、会場に設置された大型スクリーンに高拓生の歴史を綴ったフィルムが上映された。
続いて、この日アマゾナス州議会で行われた高拓生に対するセレモニーの様子を報じた
アマゾナス州のローカルニュース、そして全国版のニュースも流された。
こちら↓


前回のBlogにも書いたが
戦中の日本人移民への行為に対して
ブラジル人が公の場で謝罪の言葉を述べたという事実。
これは凄いことなのだ。
高拓生の中には戦時中の取り調べで鞭打ちにもあったという。

戦前アマゾンのジャングルに入植した日本人が残したジュート栽培の偉業。
これを讃えるとともにトニーメデイロス州議会議員による謝罪の言葉が
ブラジル全土に流された。

マナウスでも高拓生アマゾン移住80周年記念式典 続き。

高拓生の生みの親上塚司氏の孫である芳郎さんは次のように語った。

「現在生存している高拓生は3名おり、そのうち2名はマナウスにいます。
本日議会で表彰された4回生の千葉守さんと7回生の東海林善之進さん、
お二人のこれまでの御苦労、功績に対して感謝いたします。

上塚司は高拓生一回生が到着する一年前、1930年10月21日、
当時ヴィラバチスタとよばれる場所にアマゾニア産業研究所建設の入植祭をおこない、
ヴィラアマゾニアと名付けました。それからかぞえると現在10月25日ですが
81年目ということになります。
ヴィラアマゾニアが選ばれたのは上塚自らが団長となって行ったアマゾン第二次調査団が
つぶさに現地を見て、最も適切だと見極めたうえに決めたものであります。
すなわちパリンチンスから近く、複数の河川が合流しており、
風土病の心配がない場所ということでした。
上塚司の計画は、日本高等拓殖学校の実業練習生をヴィラアマゾニアで教育することで、
そして高拓生に限らず、アマゾニア産業研究所の職員として内地から
職員をヴィラアマゾニアに移住させ、当地に農業を興し、
さらに熱帯農業を研究する研究施設を設けたり、
農業の収穫物を販売して産業を興すことにより、
アマゾニア産業株式会社を経営することなど包括的な事業でした。

2006年10月に私は高拓75周年でヴィラアマゾニアを訪れましたが
その時はボートでヴァイクラッパ川をさかのぼり、
昔、高拓生が入植したアンジラ模範植民地のそばに行くことができ感銘を受けました。
有名な尾山良太氏が1934年にジュートの新種を発見し、
戦後まで続くアマゾンの一大産業が興りました。
しかし、第二次世界大戦勃発後1942年9月にヴィラアマゾニアは敵性財産として没収されました。
職員で現地にとどまっていたものは、収容されたりする苦難に遭いました。
第二次大戦が終わってしばらく経つまで、日系人には苦難の時代だったと思います。
戦後も高拓生たちはアマゾン移民の先達として、
ジュート産業は、戦後まもなく繁栄を迎えました。
先年、西部アマゾン日伯協会の川田敏之さんに聞いた話では
戦後日本からアマゾンに移住した人たちも
戦前からアマゾンに根付いた高拓生のみなさんの世話になったひとが多いと聞きました。
このようにアマゾナス州に対する高拓生の貢献は大きかったと思います。
州政府にもそのことはよく伝わったと思います。
この結果、今日州議会においてこのような催しが行われたと思います。

今回、高拓関係者の未亡人や2世が多く住んでいらっしゃるベレン、パリンチンス、
そしてここマナウスの3ヶ所を訪れることができたことは私の喜びとすることであります。
特にマナウスは千葉さん、東海林さんがいらっしゃるということで格別な土地であります。
また、本日の式典に関わられた方々、ご来賓の方々に感謝いたします。
ありがとうございました。オブリガード。」

また、州議会の壇上で感動的なスピーチを披露したトニーメデイロス氏
(アマゾン最大の奇祭ボイブンバの元人気歌手としても有名)は、
「わたしはパリンチンス出身だ。私の住んでいた街には移民の子孫がたくさんいた。
だから日本人の名字も当たり前のように目にしていたし当時から日本人に対して親しみがあった。
こうして政治家になる前から私は日本人に対して謝罪の気持ちを持っていた。
今日はその目的を果たすことができ、政治家として最高の一日になった。
私はまだ八紘会館再建の夢はまだ捨てていない。」と語った。

ステージではマナウスの団体「風河火山」による太鼓の演奏とよさこいソーランの演舞、
またブラジル人ダンサーによるジュート栽培をテーマにしたボイダンスも行われた。

マナウスでも高拓生アマゾン移住80周年記念式典 続き。

歴史的にも非常に大切な式典にパリンチンス、マナウスと立て続けに参加させていただけでも
幸せなことなのに、アマゾン高拓会会長ヴァルジール佐藤氏によるケーキカットの際は
「パラベーンスーヴォーセー!」と歌も歌わせていただき光栄に思った。

マナウスでも高拓生アマゾン移住80周年記念式典 続き。

17歳で海を越えて入植した高拓生も今年で97歳になる。
益々お元気でいていただきたい。アマゾン移民も、高拓生も、ブラジル中にいる移民の方も、
みんなみんなそれぞれに壮絶な歴史がある。
正確にその歴史を伝えて過去と現在を繋げていかなければと思った。

東海林さんの息子さんウィルソンさんと。
マナウスでも高拓生アマゾン移住80周年記念式典 続き。

↓こちらはサンパウロ新聞の記事。ありがたいことにわしのことも少し書いてくれてる。
http://www.saopauloshimbun.com/index.php/conteudo/show/id/6399/cat/105
http://www.saopauloshimbun.com/index.php/conteudo/show/id/6400/cat/105



同じカテゴリー(としみんの日記)の記事
Blog引っ越しー。
Blog引っ越しー。(2014-03-21 13:43)

さうーじ!
さうーじ!(2014-03-19 06:11)

ヴィクターと呑む。
ヴィクターと呑む。(2014-03-19 05:43)

上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

写真一覧をみる

削除
マナウスでも高拓生アマゾン移住80周年記念式典 続き。
    コメント(0)