毎回ミラクルが起きる街。

というか頑張ればなんとかなるもんだっちゅう話。

ブラジルでのわしの仕事のひとつが
西部アマゾン地域にある日本語教育機関の問題を解決するってこと。
ひとつっていってもアマゾナス州の周りにある
アクレ州、ホライマ州、ホンドニア州が管轄の地域。
アマゾナス州だけで日本の4.5倍だから
移動はすべて飛行機になる。
もう結構な飛行距離になってるんじゃないかな。

そんでもって、その出張先の中でも
アクレ州のリオブランコちゅうのがまあ厄介な場所なんだな。
http://www.riobranco.ac.gov.br/v4/

1年3ヶ月前にわしがブラジルに派遣された当時
アクレ州リオブランコ市には日本語教室があったのよ。
大学で心理学を教えるパトリシアさんが先生として
毎週土曜日に授業をおこなっていたんだ。
アクレ日伯協会も市内で日本料理店を営むメラニーさんを中心に
まとまっているように見えた。

最初の半年で2回リオブランコを訪れた。
日本語の授業も手伝ったし、それを生徒たちも喜んでくれた。
また、年末年始の休みにはリオブランコまで
プライベート旅行もしたんだった。
授業の中で仲良くなった生徒さんのうちに泊めてもらうなど
全て順調に進んでいるかに見えた。

しかしながら、
日伯協会の中でがんばって動いていたのは
パトリシアさんとメラニーさんだけで
会議を開いても集まりが悪かったらしい。
(集め方にも問題アリだと思う)
今年の7月から青年ボランティアを派遣する予定だったのだが
納税者番号の不備で派遣取り消し。それが決まったのが今年の頭。
ちょうど運悪く
日本語教室が間借りしていたSEBRAE(中小企業センター)の工事も重なり、
日本語教室も休業になり
すっかりやる気をなくしたパトリシアさんは、突然日伯協会を離れてしまった。
この時点でアクレの日伯協会は空中分解。
日本語教室の生徒も宙ぶらりんだ。
そんなごたごたがあったのが今年の3月のこと。

その後も何回か足を運んだ。

新しく日伯協会を立て直そうといろいろな人に声をかけて
会合を開き、新メンバーでの名簿を作ったのが5月。

でもね、その後、せっかく名簿に名前を連ねた
新メンバーは、なんもやっていてくれなかったんだ。がっかりした。

しょうがない!もう一回みんなを集めよう、
そのきっかけにと企画した原爆展も
会場がまったく決まっていなかったことをイベントの前日(!)に知らされた。
イベント前日になって
「会場が決まっていないので今回はキャンセルしたほうがいいと思います。」
なんて言われてもホテルもけして安くない航空チケットも予約しちゃってるっちゅうの。
しかしながら、当日なんとかミラクルを起こして開催。これが8月。

10月末にJICAブラジルの吉田次長とサンパウロのビセンチさんと訪れた時も
またまたいろいろな人たちに声をかけて新しいグループ作りをした。
もう駄目だ。誰も協力者がいない…。ってときに
デカセギがえりのジュンコさんに会うことができた。これが前回出張時のミラクル。

不安を抱えてリオブランコに行くと
必ず新しい出会いがあって次に駒を進めることができる。
ただ、そのスピードが著しく遅いのだ。

メラニーさんに聞いてみた。
「パラー州のひとは泥棒。
アマゾナス州のひとはナマケモノって
お互いに言いあってるけど
サンパウロ出身のメラニーさんはアクレ州の人をどう思う?」

「うーむ。」








「のろま!」

なるほど。確かにいろんなことに時間がかかるわな。

8月の原爆展の後、マナウスで仕事をしつつ
次の構想を練っておった。
それは、アクレ日伯協会の立て直しと日本語教育の定着を目的に
毎月一回のペースで市内の教育機関を使って
わしが出張授業をするというものであった。
アシスタントは日本での出稼ぎ経験も長いジュンコさんを希望している。
彼女との出会いも奇跡的だったな。
メールで何回か意見交換をしたら力になってくれるとのことだった。

私立大学の『UNINORTE』は、月例日本語講座の会場候補のひとつ。
そこには以前やっていた日本語教室の生徒さんが
教授として働いているらしい。
場所を提供してもらおうと
メールを送ったが返事なし…。なんだかなあ。

そこで、マナウスにあるUFAM(アマゾナス連邦大学)のミシェーリ先生に協力してもらい
公立大学であるUFAC(アクレ連邦大学)文学部のマリア学部長にコンタクトを取った。

ミシェーリさんがマナウスから何度も電話してくれて
メールも送ってくれたからコンタクトが取れたのだ。感謝!

UFACの教室を日本語講座のために定期的に無料で貸してもらうこと。
その交渉が今回の出張の大きな目的だ。
UFACで毎月一回の日本語の授業ができるのかどうか。
海のものとも山のものともわからん小憎のようなやつに
果たしてマリア先生はOKを出してくれるのか。
わからないけど、まあ、とりあえず行くしかないじゃん。
マリア先生ちゅうのはいったいどんな人なんだろ?不安だらけだ。

というわけで前置きが長くなったけど行ってまいりました。
リオブランコ。
マナウスからは飛行機で2時間半だ。

毎回ミラクルが起きる街。
『オレンジ色のところがアクレ州。その隣にある一番大きなのがアマゾナス州』

正午、空港まではメラニーさんが迎えに来てくれた。
仕事で忙しいのにいつも送り迎えしてくれるのだ。
車がないと生きていけないリオブランコではホントに助かる。

『12月12日午後3時。教授室で会いましょう』
という約束をマリア先生と取り付けた。
前回のリオブランコ訪問時に知り合った日系人のジュンコさんと
旦那さんのジェイソンさんも同行してくれることになった。
ポルトガル語を流暢に話せる人が一緒だと心強い。

毎回ミラクルが起きる街。
『こちらがジェイソン。震災後のチャリティーTシャツ姿。2月にはまた日本に戻る』

さて、UFACに着いてみてまずはその広さに驚いた。
大学構内で迷ってしまったぐらいだ。

毎回ミラクルが起きる街。
『大学のマークは近くで発掘された恐竜の頭。構内にあるらしい。』

毎回ミラクルが起きる街。

なんとかマリア先生の部屋を探し当てた。
彼女はフランス語、ポルトガル語、スペイン語、英語など
文学部すべてをを取りまとめている。
以前わしも訪れたことがあるシコメンデスの故郷シャプリの出身だ。

マリア先生はめっさいいひとだった。
将来、日本語のコースを作りたいこと。
日伯団体を立て直したいことなどを話すと熱心に聞いてくださった。

「実はね、この大学には日系人の先生がいるのよ。
彼はかなり力を持っているから
あなたたちのためにいろいろしてくれると思うわ。
ちょっと待ってね。電話してみるから。」

うひょー。アクレの大学に日系人の先生がいるなんて全然知らなかったよ。

毎回ミラクルが起きる街。

その先生は、4時半まで会議が入っているということで
しばらく大学内を案内してもらいつつ、ついに面会。

キンパラ・マルチンス・ミノル先生はJICAの研修で2ヶ月ほど
日本にも来たことがあった。ゴイアイス出身の日系人だ。
JICAのシステムもわかっているし話は早かった。

「OK。何でも好きなようにやってくれて構わないよ。
新しい校舎も建設中だからそれを見せてあげよう。
その建物には何百人も収容できるんだ。自由に使ってくれて構わない。」

ホンマですか?

30年前に創立されたUFAC(アクリ連邦大学)には
現在30の学科があり6000人の生徒が通っている。
わしがこれからここで実施するのは
1ヶ月に1度の出張講座で
日本語の文法だけでなく文化も教えるというもの。
日本語の歌、踊り、映画、食べ物などの紹介から
原爆展の開催、移民や出稼ぎの歴史についてのワークショップなどを
展開していけたらと思っている。
その中で日本語に興味を持つ学生が増えていけば
将来的にはJICA青年ボランティアの日本語教師も派遣できる。
マナウスから飛行機で通わなくちゃいけないから
なかなか距離的にも大変だけど頑張ろうと思ってるよ。

ミノル先生とはあっという間に仲良くなり
自宅にも連れて行ってくれた。

毎回ミラクルが起きる街。

「次に来る時はうちに泊まりなさいよ。」といいながら
親戚が住んでいるという日本の写真を見せてくれたのだ。
おお。掛川城じゃんか!親戚が静岡に住んでいるのだ!


夜は日系人のエヴェルトンさんが経営するお店に行ってきた。

毎回ミラクルが起きる街。

日本での出かせぎも長く
なにかと助けになってくれる彼だが
来年から2年間航空機の整備士の勉強に行ってしまうのだ。
残念だなあ。
エヴェルトンさんのお店で食べたのは
牛のしっぽのスープ(ハバダ)に
牛の胃の煮物(ドブラジーニャ)。

毎回ミラクルが起きる街。
『牛のしっぽのスープを飲んでいるところ。』

毎回ミラクルが起きる街。
『この店の味付けはちょっと変わっていてトゥクピというスープがベース。
さらにジャンブーというピリッと辛い(山椒のような味の)野菜が入る。
アマゾンの伝統料理タカカに似ている。真ん中がしっぽの骨。周りについた肉を食べる。』


店のお客さんともすぐに友達になったよ。
強面だけど面白いひとだった。
「タトゥーはインドネシアのケチャダンスの神様でしょ?見たことあるよ!」
って言ったら喜んでいたな。
毎回ミラクルが起きる街。

あいかわらず、最初は
「ペルー人か?ボリビア人か?」って言われたけどね。
慣れてきたら
「来週、一緒にペルーに旅行行こう!」って誘われた。
残念ながら我々ボランティアは行っていい国とそうでない国があるのだ。
それにそんなお金も時間もない…。

リオブランコはペルーやボリビアへのブラジル側の玄関口なんだよね。

明けて二日目。
地元で日本料理店を経営する実力者メラニーさんと
エヴェルトンさんとミノル先生夫婦とお食事しながら
将来のことについて話し合った。
エヴェルトンさん以外はほとんど日本語が話せない。
でも、みんな
「何度も何度もマナウスからアクリまで通ってくれて
頑張ってるんだから応援するよ。」って言ってくれる。
来年はもっと忙しくなりそうだ。

アクレ州のリオブランコ市は
ブラジルの端、アマゾン川の上流になるんだけど
日本人移民の歴史も深いし
近い将来、マナウスのようなゾナフランカ(免税ゾーン)になれば
日本企業も進出してくるだろう。
そうなったら日本語はきっと必要になってくると思うんだよね。

わしにできることなんてたかがしれているけれど
できるだけのことはやりたいな。
そのためにブラジルに来たんだもん。

毎回ミラクルが起きる街。

毎回ミラクルが起きる街。
『メラニーさんの店「白川」の若い料理人アウテミーとはすっかり仲良し。
「新作です。」と出してくれたのは題して「アオノリウラマキ」という寿司。
甘いピーマンとたまねぎとセビーチェ(ペルーのマリネ)風サーモンに
タイのチリソースをかけたものが軍艦巻きになってる。美味しかったよ。』



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この記事へのコメント
そういえば、友達が出張でマナウスから帰ってきたばかりだよ。初めてのブラジルでかなり疲れてた。ものごとがスムーズにすすまなくてカルチャーショックだと、ぼやいていたよ(笑)
Posted by 三毛坊 at 2011年12月16日 23:22
念ずれば通ず?
ミラクルって言うけど、それなりの努力の積み重ねがあって起きる必然だと思います。

軍艦巻き美味しそう~
Posted by カモノハシ at 2011年12月17日 21:50
いつも読んでいて思う事だけど、君は本当に体も心もタフだね。
これだけ孤軍奮闘して、周りがついてこなかったり、反応がなかったら、愚痴こぼして適当な仕事をしてしまうよ。俺ならね。
本当に頭が下がる思いだよ。

とにかく、身体を大事に。健康に気をつけて!
Posted by alohaman aka yamadanna at 2011年12月20日 12:47
>三毛坊さん
いやあ、もうびっくりするくらい
スムーズに進まないんだけど
火事場の馬鹿力で
最後にはスゴイ勢いで進むこともあるからまたびっくり。

>カモノハシさん
軍艦巻きねえ。完全に寿司ではなかったけど
美味かったですよー。
必然なのかなー。ありがとうございます!

>alohamanさん
ありがとうございます!ありがとうございます!
なんだかとても嬉しいですねえ。
Blogの外では愚痴りまくってます。
日本帰ったら聞いてやってください。
Posted by としみんとしみん at 2011年12月23日 09:12
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