連邦大学で講義。

初めてアクレに来た2010年の10月には、
まだ市内の中小企業センターを使っての日本語教室が
毎週1回おこなわれていた。

ところが、数か月後、日伯団体も日本語教室も活動停止に陥った。

書類の不備で青年ボランティアが来られなくなったことを受けて
日本語の先生が団体を離れてしまったのだ。

こりゃいかん。と何度も足を運び
少しでも現地の人のモチベーションが上がる手はないだろうかと
考えて考えて辿りついたのが
連邦大学での公開講座だった。

いよいよ、その第一回講座ができると決まったのが
先月のこと。
大学の学部長とお話して、「21日にやりましょう!」となった。
実際に講義をする部屋も見せてもらったら、やる気も出ますわなあ。
3時間の講義を午前と午後に2回。
それぞれ30名限定でおこなうことになった。

マナウスに戻ったわしは
速攻で講義の内容をポルトガル語で書いた台本を
関係者に送ったよ。

数日後、学部長から返事がきた。

「21日は生徒が集まらないかもしれないので31日に変更しましょう。」

ブラジルはこの突然、直前の予定変更がよくある…。

だいぶ慣れたけどね。

歩いていける距離、電車でいける距離ならば問題はない。
しかしながら、マナウスからリオブランコまでは1445キロある。
飛行機で2時間ちょっと。(東京~沖縄間くらいかな)
そんなに簡単に日程変更はできないし、お金もかかるので
3月は諦めて、4月からスタートさせましょう。と返事した。
(このメールを貰った時のBlogの隅には小さく『ああショック』と書いてある)

その後、がっかりした気持ちを
切り替えてボアビスタに出張。
授業の前にアイスクリームを食べていたら
突然、リオブランコのメラニーさんから電話があった。

「やっぱり21日にできることになったみたいですよー。
人もちゃんと来ます。予定通りにやりましょう!」

あんまり驚かなくなってきたが
開催できるのは嬉しいもんだ。
アイスを食べながら、喜びをアヤカ先生に伝えたのであった。

さあ、迎えた当日。
朝8時からの講義には42人もの人が集まった。

連邦大学で講義。

日伯団体副会長であるメラニー高島さんの助けもあって
2回の授業はとてもスムーズに運んだ。

連邦大学で講義。

参加者のほとんど全員が非日系のブラジル人だから
日本のことはまったくといっていいほど知らない。

連邦大学で講義。

JICAとは何か、わしの仕事は何か、を説明したり
日本にあるわしの街(浜松)を写真を使って紹介したり
世界地図を描いてもらい、日本の場所やブラジルとの距離・位置関係を確認したり、
ブラジルあるいは西部アマゾン地域における簡単な移民の歴史についても話した。

また、この講座を通じて
アクレにいる移民の歴史についても話したいことを説明した。

講義の中盤からは
日本語の挨拶や言葉の練習もして
最後は日本語の歌を一緒に歌っておしまい。

あっという間の3時間だったわ。
午後は、50人以上の参加者があり、さらに盛り上がった。

連邦大学で講義。

とりあえず第1回めは大成功。みんなありがと!

次回は4月中盤に予定しているこの講座では
地元にいる移民の方や出かせぎ経験者のみなさんにも
講義をお願いしたり
震災について考えることもしていきたいと思っている。
最終目的は日伯団体が元気になることだけどね。

どこまでできるかわかんないけどがんばってみるっす。

大学での講義が終わったのが午後5時。
夜中の3時の飛行機で向かったのは次の出張先
ロンドニア州ポルトベーリョだ。



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