乾杯!②

この場所に初めての日本語教師青年ボランティアとして
派遣されたのがこのBlogにも頻繁に登場するビアンカ先生(みず紀先生)だ。
ビアンカというのは語学クラスの時のニックネームで生徒たちは
みんな本名のみず紀先生で呼んでいる。

彼女とは横浜での語学研修のクラスが一緒だったのと
比較的年齢が近かったのも手伝い、仲良く活動させてもらえた。

横浜研修中、わしの曾祖父がアメリカに渡った移民だということを聞き
資料図書館に行って調べるべきだとアドバイスしてくれたのも彼女だ。
結果、わしは移民年表の中に曾祖父の名前を発見し
自分のルーツを明らかにすることができた。

「鶴田源七牧師、シアトルに日本人初の教会を建てる」

年表には確かに曾祖父の名が刻まれていた。
東京在住の叔母にもこのことを報告した。
叔母は、わしの横浜研修中にご主人(わしの伯父であり彼もアメリカ移民の子孫)
を亡くしており、曾祖父(叔母にとっての祖父)の名が
JICAの移民資料館に残されていることを知って大変喜んでくれた。
そんな経緯もあって、みず紀先生にはとても感謝しているのだ。

わしの立場はシニアボランティアとして
西部アマゾン日伯協会を代表し
ボアビスタ、ポルトベーリョ、リオブランコなど
日本の面積の8倍はあるという西部アマゾン地域の州都
ならびにパリンチンスの日本語教育の手伝いをするというもの。

パリンチンスの日伯協会はまだ基盤もしっかりしておらず
やることすべてが初めてのことばかりで、
この2年間、わしはなるべく多くの機会を作って
サポートするように努めてきた。

実は、JICAのボランティアの任期は2年間。
2010年7月1日にブラジルに降り立った26期生の我々も
この6月いっぱいをもって任期を終える予定なのだが
それぞれの日伯団体が署名活動をしてくださったこともあり
わしは任期が1年延長になった。
非常に稀なケースらしいので
これからの活動は更に気合いを入れていかなければならない。
というわけで残念ながら今回の出張をもって
みず紀先生、イラセマ先生との3人タッグはおしまいになる。

残念だけどこればっかりはしょうがない。

◆日本語教師の3ショット。青組「カプリショーゾ」の練習場で。
乾杯!②



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