5月26日(日曜日)
朝ごはんはジャガイモ&玉ねぎ炒めに海鮮汁。
午前中は歌とギターの練習。
今日はイベントなのだけど
勉強会に出張にとえらい忙しくて
それについて全く準備も練習もしてなかったよー。
昼ご飯はインドグリーンカレーに海鮮汁。
栄養ばっちりでイベント参戦だ!
日伯文化祭というイベントは今回が初の試み。
西部アマゾン日伯協会に関係するさまざまなグループが
講堂に集まり日頃の練習の成果を披露するのだ。
参加団体は、
カラオケ、民謡民舞、劇、太鼓、よさこいソーラン、教会のコーラス隊など。
たくさんの人たちが集まる絶好の機会なので
わしも『移住学習』をおこなわせてもらうことにした。
日本のみなさんにはピンとこないかもしれないが
戦前戦後、南米には多くの移民が海を越えて生活するようになった。
言葉もわからず文化・習慣も異なる中
気候や病気とも戦いながら
現在の日系人の地位を確立していった。
そこに至るまでには想像もつかないような苦労があったのだと思う。
現在、マナウスは約700人。ほかのアマゾン地域でも
ポルトベーリョは80人、パリンチンスは100人と
たくさんの学習者が日本語を勉強している。
よさこいも太鼓のグループも自由に活動できている。
勉強していてもグループ活動していても
移民のみなさん先人のみなさんへの尊敬の気持ちは
忘れちゃいかんと思うのだ。
なぜ日本語をアマゾンで勉強できているのか?
それをしっかり考えてほしいと思った。
だから、今回の『移住学習』では
洋平先生との二人芝居も随所に取り入れ
より魅力的なものができたと思う。
二人とも多忙なため、打合せは2回だけだったけどね。
さあ、3時からそのイベントがスタートした。
6時間の長丁場だし
大雨で客足は鈍るかと思いきや
3時開場の時点で客席はほぼ埋まっているではないか!
健先生の挨拶、太鼓の演奏ときて
『移住学習』が始まった。
「ブラジル~よいとこ♪だれが~いうた~♪」
と移民会社への恨み節を歌うわし。
頭には麦わら帽子、ボロボロのワイシャツに
タオルを首にかけ全身全霊で歌う。
横では、もう一人の移民の役を洋平先生が務める。
絶妙のタイミングでポルトガル語に訳していくので
参加者たちには気持ちはばっちり伝わったと思う。
戦前、アマゾンで
ジュート栽培(コーヒー袋の原料)に成功した高拓生の物語を漫画にした。
戦後の移民たち(特に少年少女)がどうやって
日本語とポルトガル語を異国の地で習得していったかを
聞いたインタビューも紹介した。
わしの3年間のブラジル生活も
多くの日系人のみなさんにお世話になった。
この移住学習はその恩返しのつもりもあって
どうしてもやりたかったんだ。
お客さんたちはやんやの喝采で送り出してくれ
舞台を降りたわしに向かって
日本語学校の先生たちが涙を流しながら
「すごくよかった。」って駆け寄ってきた。
驚いたのは1世のHさんが
「ありがとう。ありがとう。感動しました。涙が出たよ。」
ってわざわざ言いにきてくれたこと。
もうHさんのこの言葉だけで十分。
たった3年しかいない人間が移民の歴史なんておこがましいんだけど
でもやってよかったと思うよ。
さあ、あとはイベントを楽しもう。
太鼓もカラオケも民謡民舞もよさこいも劇も
とても高いクオリティで
6時間ぶっ続けで見ても飽きない内容になっている。
入場料は無料で
2へアイスのくじ引きも買うことができる。
わしも10分間のステージを任せられたので
今までのお礼を込めて
この3年間で歌ってきた曲をすべてメドレーで歌ってみた。
ペガサスファンタジー
上を向いて歩こう
島んちゅう宝
島唄
上を向いて歩こうは
「ひと~りぽっちじゃないブラジル~♪」と
島んちゅう宝は
「日伯んちゅう宝~♪」と歌詞を変えて歌った。
沖縄出身の日系人Tさんはものすごく喜んでくれたよ。
イベントは続く。
リオでお世話になったアナンダちゃんも駆けつけた。
わしはこの日の夜から
赤道を越えてホライマ州ボアビスタへの出張があったので
イベント終了後すぐに部屋に戻って
身支度を整えた。
飛行機の出発時刻は午前1時分。
到着時刻は午前2時分。
あー体内時計は完全にぶっ壊れとるな!
健先生もお疲れ様でした!