盆踊りの記事に写真もアップ&加筆。
まあ、見てみてちょーだい。
日曜日。
朝4時30分。朝食を終え、迎えのタクシーに乗り込む。
JICAの東さんが滞在している近所のホテルに行く間に
ものすごく派手な交通事故2つに遭遇。ちと不安になる…。
車横転してるし、逆上した男が
ドロップキックとかかましてるんだもん。
午前6時。マナウスのエドゥアド・ゴメス国際空港。
プロペラ機に乗り込みパリンチンスに向けて出発。
空から見るアマゾン川の景色はとにかく雄大だ。
7時、パリンチンス着。
空港のいたるところにある看板は
年に一度6月末にここでおこなわれる
『ボイ・ブンバ』のお祭りに合わせて赤と青の彩色が施されている。
このお祭りは、
赤チーム「ガランチード」と青チーム「カプリショーゾ」に別れて
踊りなどを競うというものなのだが
スタジアムのような会場でとにかくド派手に行われるのだ!
すごいゾ↓
http://www.youtube.com/watch?v=rpCHl00i2Uo
空港からまず向かったのは、
高等拓殖学校を設立しアマゾンの開拓に努めた
上塚司氏の銅像が置かれた場所。
後ろにはボイブンバの会場となる競技場がある。
朝早く、さっそく日本語教師ビアンカ嬢のお宅を訪問。
彼女は、横浜、サンパウロと一緒に研修してきた青年ボランティアだ。
陸の孤島パリンチンスで日本語教育がおこなわれるというのは
大変画期的なことで、今回の派遣はとても意味があることなのだよ。
現地の日本語教育を推進させようと尽力されているのは
3世のマリオさん。日本語はほとんど話すことができない。
パリンチンスは、日本人が戦前から入植した大事な場所なのだが
今は、日本語に触れる場所もほとんどなく、
日本語も出稼ぎ経験者と年老いた1世2世の方が少し話せるだけだ。
マリオさんの身内の方の家で軽い朝食。
冷蔵庫の中にあったカメの手を見せてくれたり
タピオカの料理の仕方を教えてくれたり御馳走してくれたり。
とにかく気さくな方が多い。
2世の尾山さんのお宅では、貴重なお話を伺うこともできた。
(ジュート栽培に尽力された尾山良太さんのご子孫)
高齢なのに記憶は非常にしっかりされていて
日本語の歌にも大変喜んでくださった。リンゴの唄とかね荒城の月とか。
家族のみなさんもとても親切で、
「シュハスコやるから食べていきなさいよ!」って口ぐちに言ってくれる。
後ろ髪を引かれる思いで次の場所に移動。
昼過ぎにビアンカ先生の勤務地のひとつである
「イノマタタダシ学園」に向かった。
彼女は週に1回、ここで年少者を対象に日本語で活動をしている。
この日はブラジルの父の日を祝うイベントがおこなわれたのだ。
教室には「ネコの歌」の歌詞が。
続々と料理を持ち寄った人たちが集まってくる。
こちらの方はどこまでも人懐っこい。
びっくりするぐらいに純粋なのが
話をしているだけで十分に伝わってくる。
浜松に出稼ぎに行っていたという方や
娘さんが名古屋に住んでいるという方、
マナウスからやってきた方、ずっとこの土地で生きてきた方、
みんながみんな優しい。
ぼくの地元浜松市の話や、浜北区のある中小企業の名前などが
普通に出てくる。
浜松でボランティア活動をしていたときの親子も知り合いだった。
なんだかとても不思議な気分。
ボイブンバの曲を聴きながら、手作りの料理を楽しむ。
せっかくギターを持ってきたので、ここでも数曲披露。
凄い盛り上がりだったのだけど残念ながら写真はなし。
(東さんから送られてきたらアップしよう)
途中、ものすごいスコールにも見舞われたっけ。
拙いポル語で挨拶したり、子どもとサッカーをしたり
みんなとお話してハグして…。
なんとも素敵な時間を過ごせたよ。
パーティの後、
教材についてカリキュラムについて打ち合わせ。
夕飯は、街中の屋台でピザだった。
そのあと、夜11時過ぎまで、マナウス出身事情通のKさんに
この土地についてのお話を伺った。
さて、夜。
とってもいいホテルに泊まったんだけど
蚊に起こされ続け、超睡眠不足でどうしましょ。