ううむ。こまった。

アクレ州リオブランコ。
人口30万人の街。

Wikipediaによると

『リオブランコ(Rio Branco)はブラジルアクレ州の州庁所在地で、同州最大の都市である。

リオブランコはマナウスから飛行機で2時間の戦略的な位置にあり、
ペルーと国境を接し、クスコ、プカルバ、プエルト・マルドナドなどの
ペルーの重要な観光地に隣接するブラジルの都市(州)である。

リオブランコ国際空港は、リオブランコとブラジル国内の多くの都市を連絡している。
またいくつかの国際便が運行されている。

同市はアクレ連邦大学の本拠地である。』

とある。昔、ここに日本人家族が入植したことなど何も触れられていない。
そりゃそうかもしれん。

『州都リオ・ブランコから十九キロにあったキナリー移住地は
五九年六月に七家族、同年八月に六家族が入植。
ゴムやピメンタ栽培が目的だったが、
虫の害などで上手くいかず、多くが他州へ転出した。
現在は二家族が牧畜などに従事している』(サンパウロ新聞より)

実は、先日マナウスの原爆展で講演を
してくださった川田さんは、1959年に入植した日本人移民13家族91人のうちの一人なのだ。

それから20年以上の年月が過ぎた。
以前は、運動会なども活発におこなっていたという日伯協会も
今では何の活動もなく
日本語教室も去年末あたりから動かなくなっていた。

6月に出張した時、関係者を集めて意思を確認し
新たなメンバーでの日伯団体と
新たな日本語教室で再出発しましょうということになった…。

ところが。

メールのやり取りではわからなかったが
結局は何も変わらず、ミーティングは相変わらずないし
日本語教室も稼働していないことが今回の出張ではっきりしてしまった。

去年まだ日本語教室が開いていた時の
生徒たちは今宙に浮いたままで、
せっかくやる気になっていたのに
このままフェイドアウトしてしまうのだろうか。

日本語教室のみんな、新旧の理事が集まる機会。
日系も非日系もみんなが日本について知る機会。

そう。ここリオブランコでの原爆展は
平和について考えるための原爆展だけではなく
ぼくの中ではこれからにつながる大きな大きな意味を持っていたのだ。

だから、リオブランコに飛ぶ前日
「キャンセルしたいと思います。」とメールを受け取った時は頭の中が真っ白になったよ。

いろいろな選択肢が浮かんだ。
出張もキャンセルしてマナウスに戻ってしまうことも考えた。

でもね、とりあえず行くだけ行ってみようと思ったんだわ。

しかしながらかなりタフだよ。

ホテルも決まってなかったしね
原爆展の30枚のポスターやらギターやら重い資料を持って
知り合いを頼ると言ってもだれを訪ねて何をすればいい?
三日間無駄になる可能性は大なのだ。

今思うと
メールでのやり取りがそもそもいけなかった。
日本語教室の先生だったパトリシアさんは
新しい団体のメンバー、イヴァンさんに返事を任せ
そのイヴァンさんは返事をくれない。
こちらはパトリシアさんにメールを送ってみるが
仕事が忙しいという理由で細かいところまで
どうやら読んでくれてなかったようなのだ。

愚痴を言っていてもしょうがない。
ホテルは自分で探せばいいし
以前、飛び入り出演させてもらったライヴハウスや
日本レストラン「白川」を訪ねるって手もあるじゃないか。

ポルトベーリョでリオブランコにいく直前にPCを開くと
パトリシアさんからメールが入っていた。

『Kuukou he ikimasu.

Ashita itiniti jyuu shigoto desu.

Yoroshiku. 』

まあなんとかなるか。



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