まず、参加者たちは港近くのプラッサ(広場)に移動した。
真紅の大きな鳥居がそびえ立ち、訪問者を迎え入れる。
左手にアマゾニア産業研究所の給水所を修復したもの
右手にはジュート栽培を成功させた尾山良太さんの像が立っている。
花壇にはこの日のためにジュートの木の苗が植えられた。
奥にはジュート栽培の様子を模した大きなモニュメントもある。
そのモニュメントの横には後ほどここでで行われる催しのために
大きなスピーカーも準備されていた。
プラッサの中央には、高拓生の生活や開拓の様子がわかる写真が
展示されて、多くの注目を集めている。
日本語教室に通う生徒や日伯協会のメンバーは
「友情」と背中に書かれた揃いのTシャツ姿だ。
軍警察も警備のためにやってきた。(ひとり関係ないのが混じってる?)
今回、高拓生を生み出した上塚司氏のお孫さんである上塚芳郎さんとも
いろいろなお話をすることができた。
医師である芳郎さんは
なんと数年間、浜松の聖隷病院に勤務していたことがあった。
その病院は日本のわが家から徒歩十数分のところ。
可美村に松菱デパート、城北小学校、姫街道に浜名バイパスと
ずいぶん昔に勤務されていたはずなのに恐ろしいまでの記憶力だ。
プラッサで参加者が歓談し、写真を見ている間に
市内の教会ではイノマタタダシ学園のアヴェニューザ校長が中心になって
ミサの準備を進めていた。
プラッサから教会までは暑い日射しを浴びながら歩いての移動。
道路の右側にあるのが開拓の本拠地である「八紘会館」跡地。
現在は取り壊され、土台しか残っていない。
当初の計画はここにもう一度「八紘会館」を建設するというものだった。
道路の左側には、現地のひとが住んでいる民家が連なる。
そのうちのいくつかは、開拓の時代に作られたもので
かつては日本人が住んでいた。
港近くのお店には日系人のおばちゃんがいるが
現在ヴィラアマゾニアには日本人は住んでいない。
ミサはブラジルのカトリック教会らしく明るく行われた。
ギター担当と歌担当の二人がステージ下にいて、
明るく楽しい賛美歌を参加者みんなで歌っていく。
まさにブラジル。ミサも明るい。
聖書の一節、賛美歌の歌詞、みんなしっかり暗記している。
神父さんの説教の後、
高拓生の子孫、家族などの関係者は祭壇近くに集まり
祝福の言葉と聖水を受け止めた。
