イタコアチアラの主要産業は木材とゴムの採取、そして漁業である。
アマゾンでの樹木の伐採は自然保護から非常に厳しく
政府から許可を得たものしか自由に伐採することができない。
人口10万人とアマゾナス州の中では、
なかなか大きな規模の都市に発展したこの街に
以前は多くの日本人移民が暮らしていた。
しかし、今では三家族ほどになってしまったらしい。
14日土曜日。
クプアスーのジュースを作る音で目が覚めた。
コンジュント・ノヴォ・ホリゾンテにあるファビオラさんの生家には
お母さんのエリザベッチさんが一人で住んでいる。
◆手入れの行き届いた庭付きのお洒落な家。
セアラからアマゾンに移って25年。
ベッチさん(ファビオラさんのママ、エリザベッチさんのニックネーム)は、陽気なおばちゃんだ。
おばちゃんというには若々しく
マナウスのライヴハウスではANGRA(日本でも超有名なバンド)の
シンガーにナンパされたって話も聞かせてくれた。
「この前、マンゴーの実が落ちてきて小屋の屋根が壊れちゃったのよ。」
よく喋りよく笑う。
朝食はコーヒーにクプアスーのジュースに焼きチーズ。
◆旦那さんが生前好きだったという日本の本が本棚にあった。いつか遊びに来てほしい。
昼前に市内を案内してくれるという。
実はわしがイタコアチアラに来たのはこれが初めてではない。
去年の6月末、アマゾン最大の奇祭『ボイ・ブンバ』をパリンチンスまで観に行ったときのこと、
帰りの船(高速艇)のエンジンが途中で壊れてしまい(低速艇になった…)
イタコアチアラでバスに乗り換えたことがあった。
港付近でしつこいモトタクシーの運転手を振り切ったことと
ボイ・ブンバと船旅で疲れ切った体に定食屋のスープが
やたらと美味かったことを思い出す。
そんな懐かしい思い出の港(まだ1年しか経ってないのに)の近くに
セントロがあり、街の名前の由来となった大きな石が飾られている。
イタコアチアラ=色を塗られた石(pedra pintada)
イタコアチアラと呼ばれるずっと前、1759年のこと
この街は、Vila de velha serpa「古い森の村」と名付けられていた。
古くから多くの先住民族(ムラ族、ジュリス族、アニコレス族、アポナリアス族、クマシアス族、
バレス族、ジュマス族、ジュキス族、パリグアイス族、テラス族…)がここに住みつき暮らしていたのだ。
近くを流れるウルブ川では、いくつかの碑文が刻まれた岩が発見されていて
街の名前もこれが由来になっている。
なるほど、市の旗にも石の絵が描かれている。あんまりセンスよくないけど…。
ベッチさんは
「市役所の仕事が遅いから、街中のゴミが無くならないし
公園のオブジェも壊れたままだし、恥ずかしい。恥ずかしい。」を連発。
そんなん気にしなくても大丈夫だよー。
街で一番古い教会や
二つの繁華街、アマゾン川沿いの公園などいろいろ案内してくれたよ。
◆川沿いの公園からは以前故障した船が寄港した桟橋が見えた。
