ポルトベーリョの日本の夜、その後。②

最終日。

午後の飛行機でマナウスに帰るわしら、そしてサンパウロに帰る箕輪さんのために
マリエラさんがとっておきのプレゼントを用意していてくれた。
それは、インディオの村訪問。

インディオの部落には今までもいくつか訪れたことがあるが
今回はインディオ保護局(FUNAI)の許可を得て
ポルトベーリョから100キロ離れた村を訪れるのだ。

8時にホテルを出て市内にあるFUNAIに着いた。

あ!昨日、屋台で会ったご夫婦だ!
旦那さんはパリンチンスの名の由来にもなったパリンチンチン族のイヴァルドさん。
そして奥さんはカリチアン族のマリアさんだ。

ポルトベーリョの日本の夜、その後。②

FUNAIに隣接するインディオが住む家(市内にあるふつうの家だよ)を
見せてくれるという。
ここは、インディオの村でもなんでもないけれど
都会に住むインディオのコミュニティだ。

ポルトベーリョの日本の夜、その後。②

でもね、こういう場所も
なかなか中まで見るチャンスなんてないからワクワクしてきた。

手続きをしているマリエラさんを事務所に残し
われわれ一向は街のインディオが住む家に入っていった。

家の外にはお土産物が並び、ここでも売っているという。
やはり、衛生状態はすこぶる悪い。

ポルトベーリョの日本の夜、その後。②

家の中にはハンモックが並び、赤ん坊を抱えた幼い顔の母親がうろうろしている。
ここで一日アクセサリーを作ったりしているんだろうな。
男性陣はどこか街中で働いているのかもしれない。

驚いたことに家の外、裏庭には二羽ニワトリがいた。
というのは冗談でサルが飼われていた。それも3匹!
さらにオウムがいて、ネコがいて犬がいる。
犬猿の仲なんて言葉が信じられないくらい犬とサルがじゃれあっているのにもビックリ。

街に住むインディオはこんなところに住んでいるのか…。
お礼を言って、再会を約束してコミュニティを出た。

事務所に戻るとマリエラさんが浮かない顔をして待っていた。

「トシミさん。今日はインディオのところにいけません。」

「えー?」

書類を作るためにインディオの酋長(リーダー?カシッキと発音していた…)のサインがいる。
それが手違いで間に合わなかったらしい。
当初の予定では、8時過ぎにポルトベーリョ出発。
1時間かけて部族の村に行き見学、午後1時半には空港に戻ってくるというものだった。

FUNAIの横には、地元のインディオであるカリチアン族の事務所がある。

ポルトベーリョの日本の夜、その後。②

10時半にはその酋長であるアンテノール氏が現れるはずだから
彼を待って直接交渉したら行けるかもしれないという一縷の望みにかけることにした。

カリチアン族の事務所には
部族の写真やアクセサリーが並んでいた。
わしは前日オンサ(豹)の牙のアクセサリーを購入したんだが
ある質問を事務所の若いスタッフ(もちろんインディオ)にぶつけてみた。

「オンサの牙には強い力が宿っていて、
二つ身に付けるとパワーが増すって聞いたんですが本当ですか?」

「そのとおりだよ。カリチアン族の酋長の写真を見せてあげるよ。
牙がいっぱい付いたアクセサリーしてるよ。」

「うわ。ホントだ。」

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10時半。
大阪の芸人ほっしゃんのような顔をしたアンテノール氏が時間きっちりに現れた。

彼曰く

「まず、今回の訪問は無理だ。余りにも時間が無さすぎる。
もしわれわれの部落を訪問するのであれば、
もっとゆっくり時間をかけてわれわれの生活を理解してほしいのだ。

数時間だけ訪れて写真を撮っておしまいでは意味が無い。

インディオの生活がどんなものなのか、本質を知ってもらいたい。
部族のみんなと話をして、仲良くなってもらいたいんだ。

実は、わたしは日本に行ったことがある。
同じ先住民族のアイヌを訪ねて北海道にも行ったことがある。
熊が有名だよね。ここからお土産のネックレスも持っていったんだ。
日本人はわれわれインディオと似ているところがあると思う。

それは…

我慢するところ。(多くの迫害を受けてきたからだろう)
大声をあげないところ。(声を荒げないということ)

白人たちはどうだろう?

いつも大騒ぎしているように感じるよ。

わたしはそんな日本人を尊敬している。

発音もインディオの発音に似ているところがあると思うよ。(LとRの違いがないところ)
今回、日本人の友人たちがこの事務所に来てくれて嬉しい。

(わしを指して)君は日本人ぽくないけどね。
時間を作って次回はぜひゆっくりわれわれの部落を訪れてほしいよ。」

たしかに彼の言うとおりだ。
フラリと軽い気持ちで部落を訪れようとしていた気持ちを
見透かされた気がした。
いつか別の機会に、プライベート旅行で必ず訪れたいと思う。

アンテノールさんに
箕輪さんの太鼓とわしのギターで「島唄」をプレゼントした。

「とても綺麗な曲だね。ありがとう。
君の音源はどうやったら手に入るんだ?」と言ってくれた。

記念撮影では、
部族の髪飾りを頭に載せてくれもした。

これが戴冠式のようす。

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そうそう、彼の手相を見てびっくり!徳川家康にも共通する天下取りの手相だったのだ。

「これはすごいですよー!」と説明すると
「うちの家系は昔から部族のリーダーの家系なんだよ。」と嬉しそうに応えてくれたよ。

ポルトベーリョの日本の夜、その後。②

今回は残念だったけど、手を尽くしてくれたマリエラさんに感謝!

ポルトベーリョの日本の夜、その後。②

結局この日は発電所&ダムの工事が進むマデイラ川と
ポルトベーリョ最古の教会(100年前のもの!)サントアントニオ教会を見学することになった。

ポルトベーリョの日本の夜、その後。②

飛行機は2時半出発だ。急いで空港に行かなくては!

1時半に空港に着くと、
マナウスの川田さんの実弟シンイチさんが待っていた。
シンイチさんはポルトベーリョに住み、野菜を栽培し市場で販売している。

ポルトベーリョの日本の夜、その後。②

わしが、マナウスの川田さんのところに遊びに行くと
いつも酒のつまみに玉ねぎの漬物を大量にご馳走になる。
まーこれがバカウマイのだ。(遠州弁でとてもおいしいの意味)

「あんた。いつも玉ねぎ沢山食べるから、
今度ポルトベーリョに行った時
弟に玉ねぎ持ってこさせるよ。
マナウスまで運んでくれんか?そしたらまた漬けとくから。」

ホントに持ってきてくださったので
わしは、酋長から玉ねぎの運び屋に変身した。

というわけで今回のポルトベーリョ出張。めでたく終了であります!

ポルトベーリョの日本の夜、その後。②



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