今回の出張先はパリンチンス市。
毎月訪れている大事な場所だわ。
前にも書いたが、ここに日本人は一人しかいない。
はじめてJICAボランティアとして派遣されたビアンカこと赤沼みず紀先生だ。
パリンチンス日伯協会にも
キムラ語学センターにも
日系人はいても日本語を話せる人はいない。
唯一、でかせぎ帰りのイラセマ先生が頼みの綱で
毎日がポルトガル語の渦の中にいることになる。
実は、ビアンカ先生は
椎間板ヘルニアの療養のため
何か月間か授業から離れていたのだ。
その間、原爆展をおこなったり
高拓生80周年記念式典があったり。
もちろん日本語の授業も含めて
イラセマ先生を助けるべくわしも足を運んでがんばっておった。
マナウスでの療養中は
うちのよめさんもご飯作ったり応援してくれたよ。感謝感謝。
今だから笑っていろいろ話せるけれど
手術が成功するかどうかもわからないうちは
知り合いや友だちも読んでいるであろうこのBlogにも
下手なことは書けんし
プライバシーを侵害するようなことは書けんしで
結構複雑な心境だったんだな。
本人が一番不安でいっぱいだったのは当然として
彼女を待つ数多くの生徒たちやパートナーのイラセマ先生も
「本当に戻ってきてくれるの?いつ帰ってくるの?」と
会うたびに心配してくれてた。
手術の日に有志を募って生徒が集まり
スライドショーを見ながら祈っていたなんていう話を聞いた時は
わしも泣いてしもうたよ。
というわけで、今回の出張では元気いっぱいの
授業に再び参加することができてよかったよ。
おめでとー。
糊が飛び出すガンを持ってご満悦デス。
