教室を飛び出して③

ヴィラアマゾニア探訪。
まずは、港近くにある「八紘会館」跡地を訪れた。
1931年に日本からやってきた高拓生たちの拠点になった建物だ。

当時、八紘会館を中心にしてヴィラアマゾニアには
実業練習所、農業試験場、気象観測所、診療所から成る
アマゾニア産業研究所が設立された。
その後、ブラジルで初めてジュート麻の栽培と商品化に成功したことによって
コーヒー豆の流通の歴史までが変わることになる…。

わしの知識なんて大したもんじゃないけど
日本語で説明するとそれをイラセマが通訳してくれる。

実はイラセマ八田さんの祖父である公重さんは高拓3回生で、
去年10月に行われた高拓生アマゾン移住80周年の記念式典では
イラセマのおばあちゃんも表彰されていた。
イラセマは以前、出稼ぎ者として、静岡県の竜洋町に住んでいたこともある。
今でもその竜洋には妹夫婦と息子さんが住んでいる。
妹のカチアさんはもう10年以上故郷に帰っていない。
竜洋町は天竜川を挟んで浜松市の隣の街だ。
奇妙な縁を感じずにはいられない。

日が上ってきて日射しがどんどん強くなってくる。
炎天下の中、能天気な生徒たちと目指したのは郊外の墓地だ。
ここには第二次世界大戦前にアマゾンに入植した高拓生とその家族が眠っている。

1年半前、派遣されたばかりの2010年の8月に
初めてここを訪れたときは
墓地はまだ手つかずの荒れ地だった。
墓石は無残に割られ、墓は掘り返され
悲惨な状態だったのだ。
なんでも、日本人は財産を持って墓に入るという噂が住民の間に広まったらしく
悲惨なことに墓荒らしも絶えなかったそうだ。
その後、けして裕福とは言えない現地の住民が
自分たちの墓を作る時に、
荒らされた墓の周りに落ちていた墓石の残骸を
基礎として使ってしまったのでは?という話も聞いた。

ジャングルの片隅。
墓地の一番奥が荒れ果てた日本人墓地で
手前が現地人の墓地だ。
現地人の墓地もお世辞にも立派だとは言えないが
日本人の墓地はもっとひどい有様で
4ヶ月前まではそこが墓場だとは
説明されてもわからないほどの荒れ様だったのだ。

去年10月の80周年の記念式典開催をきっかけに
墓地は整地され、
墓地までの道もなんとかバスが通れるほどに整備された。
(それまではオートバイ1台通るのもやっとの細い道だった)

高床の民家が立ち並ぶ広場を抜けて
わしらは墓を目指して歩く。
イラセマが「向こうの角まで走って、一番だった人には賞金をあげるよ。」
と言いだした。
裸足で真剣にダッシュする生徒たち。若いなあ。

◆八紘会館の建てられていた場所で生徒に説明。驚くほど真剣に聞いてくれた。
教室を飛び出して③

◆最高齢の参加者はドナマリア。すごい道のりを文句ひとつ言わずに歩ききった。
教室を飛び出して③

◆歩け。歩け。みんなで歩けば長い道のりもこわくない!
教室を飛び出して③

◎教室を飛び出して①
http://swampwater.hamazo.tv/e3447297.html

◎教室を飛び出して②
http://swampwater.hamazo.tv/e3447307.html



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