前回の出張のBlog記事を見てもらってもわかるとおり
リオブランコてのは、なかなか大変な場所だったりする。
↓こんなん。
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ちなみに前回は西部アマゾン地域各地を回って、
日本語教育の仕事と同時進行で「原爆展」を開催するというものだった。
リオブランコに関しては、今年のはじめから日本語教室が活動停止状態。
頼みの綱の新しいメンバーによる日伯団体に
メールを出して「原爆展」のスケジュールや会場を押さえてもらっていたつもりが
予定日の前日になって何も決まっていないことが発覚。
(自分の詰めの悪さももちろん反省しております…。)
結局、パトリシアさんに頼んで
当日飛び込みで西部アマゾン大学の
美術の授業を借りて原爆展を行った。
結果としては80名もの人が集まり、大成功に終わったのだが
なかなか冷や汗ものだったのだよ。
なにが飛びだすかわからない…。リオブランコ。
さて、今回は
サンパウロの事務所からビセンチさん、ブラジリアからは吉田次長も同行。
目的としては、一度ストップしてしまったアクレでの日本語教育活動を
今後どうしていくのか、なるべくたくさんの方とお話して意見交換し
今後の活動を決めるというものだ。
朝、10時にホテルを出発して
我々3人が向かったのはセニャドール・ギオマルドだ。
元々ここはキナリーと呼ばれた場所で日本人13家族が入植したところ。
現在、日本人家族は2~3家族のみ。
2ヶ月前に訪れたときに西沢さん、浜口さんの両方のお宅を訪問したが
本当に親切に対応していただいたし、日本への愛も感じたので
ぜひもう一度お会いして力になってもらいたいと思っていた。
まず、西沢さん一家が経営する「ランショネッチドジャポネス」(日本食堂)に行った。
前回も書いたが日本のものは一切おいていない…。
ブラジル人の従業員が西沢さんのおばあちゃんが作る落花生の袋詰めをしている。
「あら、久しぶり。」とぼくのことを覚えていた従業員が
すぐに店の主人ヒロミチさんを呼んでくれた。
横浜の鶴見や大阪に6年住んでいたという彼はほとんど日本語が話せない。
もちろん日本語教育についての集まりや企画には参加したいけれど
仕事が忙しいからリーダーはできない。とのことだった。
数軒先に宝くじのお店があって、
そこにも出稼ぎ帰りの日系人ハラさんがいることがわかった。
ユートン・ハラさんは埼玉で出稼ぎをしていた。
娘さんの名前はアイカちゃんだ。
彼はこの日の夜おこなわれる会議に来ることを約束してくれた。
時刻は12時6分。
ぼくが一番お会いしたいと思っている浜口さんは
この近くでスーパーを経営しているのだが
12時で店を閉めて昼休みに入ってしまう。
一人、ダッシュでそのスーパーに向かい、
鍵をかけている浜口さん親子に会えた。
事前にFacebookで息子のヒデキさんには
行く旨を伝えてあったのだが、生憎この日浜口さんは用事があって
すぐにセントロに行かなければならないという。
困った…。話し合いができないではないか。どうしよう。
すると浜口さんが
「ガソリンスタンドを経営しているぼくの妹がすぐそこに住んでいるから
そこにいくといい。それから夜の会議にも参加しますよ。」と言ってくださった。
妹のフミヨさんは、それはそれはパワフルで気さくな方で
なんと昼食まで自宅でご馳走になってしまった。
入植してから、結婚して家族を養ってきたお話を聞いた後
日本人が入植したキナリーの土地まで案内してくださり
さらにセントロまで(約30キロの道のり)送ってくださった。
彼女も夜の会議にくることを約束してくれた。
これが現在のキナリーコロニア。
原爆展でお話してくださった川田敏之さんも
最初この土地に入植している。
我々が気になっている人物がひとりいる。
それは西沢エヴェルトン氏だ。
前述の西沢ヒロミチ氏の従兄にあたる人物で日本での出稼ぎ期間も長く
流暢に日本語を使うことができることから
今年もJICAの研修生に選ばれ日本に行ってきたばかりだ。
アクレでの日本語教育には必要な存在で、ぼくも4ヶ月前に初めて会って
いろいろな話を彼とすることができた。
しかしながら、今回のアクレ訪問では連絡がつかないのだ。
どうやら携帯が壊れているらしい。
なんでも共同経営で働いている弟がいるらしいので
弟の電話番号をなんとか入手してそこから連絡をとることにした。
弟の正敏さん(漢字の名前!)も日本での出稼ぎ経験がある。
連絡をとると、我々のホテルまで会いに来てくれるというではないか。
正敏さんは日本の出稼ぎ時代に着ていたユニフォーム姿で現れた。
胸には「隅田電機工業」の文字が入っている。
日本語、日本文化に興味があること。日本での生活は楽しかったこと。
日本の食べ物が恋しいこと。兄と一緒に酒屋とバーを経営していること。
お父さんは1世だけど日伯団体には入りたくないこと。
ホテルのロビーでたくさんお話した。
夜の会議の前に
我々はエヴェルトンさんに会うために彼らのお店である
「Nishi distribuidora」に行くことにした。
渋滞するセントロを抜け
原爆展をしたFAAO(西部アマゾン大学)の前を通り
空港に向かう道から少し入ったところに彼らの店はあった。
午後5時なのに結構な賑わいをみせている。
我々はキビとご飯をなんかの葉っぱで巻いてケチャップで煮込んだもの、
そしてぼくの好物であるドブラジーニャ(牛の胃の煮物・結構グロい)を
ご馳走になった。
それにしてもこのお店のドブラジーニャは絶品だ!
牛のしっぽの煮込み(ハバダ)も大人気で
この日ももう売り切れていた。
味の秘密は、ほんだしと味の素らしい。
エヴェルトンさんは、日本語教育に協力してくれることを約束してくれた。
でも彼には彼の生活がある。酒屋&バーも朝から晩までの仕事なのだ。
彼はその仕事を続けながら、空港での飛行機整備士の資格を取るべく
数ヶ月に一度ゴイアニアにも通っている。
これが西沢ブラザース。
弟曰く「俺が社長で兄貴は部長。」
さあ、時間だ。
日伯協会の副会長メラニー高島氏のお店「白川」で会議がはじまる。
会場には、ポルトベーリョのトレゼデセテンブロに入植した後
リオブランコに移った門脇さん夫婦、キナリーの浜口さん兄妹、
キナリーの3世エヴェルトンさん、大学教授をしながらも
今年の初めまで日本語教室を続けてきたパトリシア矢野さん、
キナリーの宝くじ屋のユートン・ハラさんも家族で来てくれた。
一組お会いしたことのない若い一家が混じっていた。
ユートンさんの従妹のジュンコさん一家だ。
なんと、ジュンコさんは11歳から20年間日本に住んでおり
日本ではブラジル人相手に日本語も教えていたというのだ。
彼女自身、日本語を教えることについて非常に強い興味をもっていて
自分の子どもたちにも
今後、英語やポルトガル語と同様に日本語を学ばせたいと思っているところだった。
数週間前に日本から帰って来たばかり!なんというミラクル!
彼女にも協力してもらって
これから定期的に出張講座をしていくことが決まった。
無理なく楽しく次のボランティアが決まったり
日伯団体がまとまるまで地道にやっていこうということになった。
会議だから当たり前なんだけど
集合時間の7時から2時間以上
水も料理も何もなく、みんなで真剣に話し合うことができて本当によかった。
(日本料理のレストランで2時間話し合うっていうのはなかなかタフ。
よくみんな文句言わなかったなあ…。)
もちろん方向性がある程度まとまってからは、無事乾杯ということになったよ。
まだ場所も何も決まっていないので
これからが勝負なんだけど
みんなの気持ちを聞くこともできたし
新しい仲間にもあえてめでたし。
というわけでわしはこの日の朝午前4時の飛行機でマナウスに戻ってきたよ。
さすがに疲れた!